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駒楽誓晴詠楽梅晴雨⑨

「雨花……」 皇は、苦しいくらいオレを抱きしめた。 お前だって、わかってるはずだろ?オレが喜んでないことくらい。 信じてるから、聞いたんだろ? 渡りの回数が減って喜んでるなら、今ここに、こうしているわけない。 それは、お前も……同じ、だよね? 「そなたは……余を不甲斐ないと思うか?」 オレを見下ろすようにかぶさっている皇は、オレの頬を撫でて、不安そうな顔をした。 「え?」 「そなたの側にと思うほど……余はそなたから遠ざかる事態を招く。……家臣の言うまま……そなたに会えぬことを了承した余を……不甲斐ないと思うか?」 『会えぬ』……その言葉は、いつかオレがふっきーに笑われた言葉だ。 会えないって言葉の前には、会いたいのにって、言葉がつくんだよって。 皇も……そうだと思って、いいの? 「オレだって、そうじゃん」 「ん?」 オレの肩口に額をつけた皇の頭を、そっと撫でた。 家臣さんたちの言うまま了承したお前が不甲斐ないなら……オレだって同じだ。 オレだって、何の反論もないまま、お前と会える時間を失うのを、素直に受け入れたんだから。 今朝、駒様に新しい規則のことを聞いた時は、いちいさんが先に怒ってくれたから何か冷静で……。 駒様がオレに土下座なんてしてくれちゃうから、そっちをどうにかしなきゃって、思ってて。 いちいさんが大老様のところに文句を言いに行ったら、皇が困るだろうし、どうにかしなきゃって思って……。 オレが何でもないことみたいに受け入れたら、うちの誰も、大老様に文句なんて言いに行かないだろうって、思ったんだ。 渡りが減らされたのはオレだけじゃないし、会えないわけじゃないし……とか、そんな大したことじゃないんだから、新しい規則に反対して、誰かと揉めることのほうが嫌だって……そう思ってた。 平気平気って、さっきまで思えてたし、誰も揉めないで済むんだから、新しい規則を受け入れて良かったんだって、思ってたのに……。 お前が、オレに会いたいのに会えない……とか、そんな風に思ってくれてるのかもしれないって思ったら……新しい規則は、全然平気なことじゃなくなっちゃって、素直に受け入れた自分を、責めたくなる。 「オレ……」 「……ん?」 全然平気なことじゃないって気付いても、やっぱり受け入れなきゃ、駄目なんだ。 オレもお前も、自分がそうしたいからってだけで好き勝手に行動したら、きっとたくさんの人を困らせる。 それでもお前に会いたいとか……言えないよ。 「……待ってる」 今のオレには……お前が会いたいって思ってくれてるのを信じて、待ってることしか、選択肢が見つからない。 「雨花……」 キスと同時に、皇はオレの制服のボタンをはずし始めた。 もう運転手さんが、オレを迎えに来てくれてるはずだ。 でも今、どうしたら皇の手を止められる?きっとオレのほうが、皇を……求めてるのに。 皇の運転手さんだって、待ってるよね。 でも……ごめんなさい。今日だけだから……ごめんなさい。 「んっ、ふ……ぁっ……。」 もう止めなきゃと思えば思うほど、どんどん止められなくなっていく。 早く帰らなきゃと思えば思うほど、もっと欲しくなる。 会ったらいけないと思えば思うほど……会いたい。 さっきまで、あんなに平気でいたのに、全然、平気じゃなくなってる。 皇といたい。 いたいよ。でも……。 「皇っ……」 いられない。 二人でエレベーターを降りて、もう誰もいない昇降口で、皇はオレの腕を掴んで無言で見下ろした。 「……何?」 「そなたに……そのような顔ばかりさせる余を……許せ」 そのような顔……自分じゃ見えないけど……酷い顔、してるのかな? 「酷い顔ってこと?」 そう言って笑うと、オレの頬を撫でた皇もふっと笑った。 「そなたは、どのような顔をしておっても……美しい。ただ……何かを堪えておる時だけは……不器量だ」 「……」 何でそういうことばっか気付くんだよ。いつもは鈍感なくせに。 「堪えずとも良い。誰もおらぬ」 「……っ」 昇降口だっていうのに、急に涙がこみあげてきて、皇にしがみついて……声を上げて泣いた。 自分がこんなに我慢してるなんて……さっきまで全然、気付いてもいなかったのに。 「そなたを……長くは待たせぬ」 ぐちゃぐちゃの顔をしているだろうオレを胸に抱きしめて、皇は耳元でそう囁いた。 待つっていう選択肢しかない自分が……歯がゆい。 オレの涙を拭くように、頬を擦り上げた皇の手を取った。 「……かえろ?」 「……ああ」 皇の顔を見ながら、強くなりたいって、猛烈に思った。 オレも皇に……そんな心配そうな顔ばっかり、させたくない。

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