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夏休み~受験生だっつうの~⑨
大老様に声を掛けられたことに緊張して、その場で固まってしまった。
大老様がどうしてここに……?
その時、廊下の奥に、トイレがあったのを思い出した。
大老様、トイレに出て来たのかな?
先に行ってもらおうと、オレは廊下の端に避けた。
「あ、申し訳ありません。道を塞いでしまって……」
そんなオレを見て、大老様はふっと笑った。
やっぱり大老様って、怖い人ではない気がする。
「ありがとうございます。ご退席ですか?何かご用事でも?」
「あ……少し、気分が……」
「ああ、雨花様は行事ごとに、たびたびお倒れになっていらっしゃいましたね」
「あ……はい」
緊張で肩を縮めたオレをまじまじと見た大老様は、また顎を撫でると『では、先に失礼致します。お大事に』と、オレを抜かして、廊下を進んだ。
大老様の背中を目で追っていると、二、三歩歩いたところでぴたりと足を止めて、こちらに振り返った。
え?どうしたんだろう?
「雨花様は、御台様が鎧鏡家の行事全てを取り仕切っていらっしゃることは、ご存知ですか?」
え?何?急に?
「え?はい。知ってます」
「では、若様の奥方様になられるお方が、いずれ鎧鏡家の行事全てを取り仕切る立場におなりなのも、おわかりですね?」
「……はい」
「では……行事参加もまともに出来ないお方が、この先行事を取り仕切る立場になれるのだろうかと、家臣たちが噂するのも、ご納得いただけますね?」
「……」
それって、オレのこと?
ショックで……何も言葉が出て来ない。
大老様は『では』と一礼して、背中を向けた。
大老様は……オレには奥方様は無理だって……思ってるって、こと?
大老様だけじゃなくて……家臣さんたちも、みんな……。
「お待ちください!」
オレの後ろから、いちいさんが大老様に向かって声を荒らげた。
「いちいさん!」
オレがいちいさんを止めると、大老様が足を止めて、こちらに振り返った。
「側仕えに"さん”付けとは、また珍妙な……」
「え……」
いちいさんはオレの前に立つと、廊下に膝をついて、大老様をキッと睨み上げた。
「大老様。大老という役職は、家臣団のまとめ役でいらっしゃいます。家臣団は、しらつきグループを統括するのがお仕事のはず。若様の奥方候補様にご干渉なさるのは、出過ぎた真似ではございませんか?」
「いちいさん!」
そんなこと言ったら……。
「ほう?たかだか一位が、大老に物申すのは、出過ぎた真似ではないのか?」
「……奥方候補様は、鎧鏡一門にとって何より守るべき、大事な存在です。その候補様をお側でお守りするのが、私共一位の役割と心得ております。雨花様をお守りするという大義の前では、階級の上下に気兼ねは不要と……」
「いちいさん!もう……」
いちいさんの腕を引くと、いちいさんはそこで口を閉じた。
これ以上いちいさんに庇ってもらったら、オレ……どんどんへこんでいくだけだ。
「……雨花様」
大老様は、いちいさんを見て鼻で笑うと、オレをじっと見た。
ベールをかぶっているのに、視線がぶつかっている気がして……背筋が凍る。
怖くなって、いちいさんの言ったことを、オレから大老様に謝ろうかと、頭をよぎった。
でも……やめた。
オレが謝ってしまったら、いちいさんがオレを庇ってくれたことが、『悪いこと』になる気がしたから。
「はい」
「良い一位に守られていらっしゃる」
「え……」
大老様は『そのようなところに座り込んでおらず、具合の悪い雨花様を、早く屋敷にお連れするのが、何より今、一位のすべき仕事ではないか?』と、いちいさんに笑いかけて、廊下の先にある、トイレに消えて行った。
大老様が見えなくなると、どっと一気に力が抜けた。
「はぁ……」
「大丈夫ですか?雨花様!」
「あ。はい、大丈夫です。はぁ……緊張しました」
どうなっちゃうかと思ったけど……大老様、いちいさんのこと、怒らなかった。むしろ……褒めてくれたんだよね?あれって。
はぁ……良かったぁ。
いちいさんはそのあと、早く屋敷に戻りましょうと車を呼んでくれて、オレの具合が悪いっていうのに、あんなことをして申し訳なかったと、オレに謝った。
それを聞いてオレは、いちいさんにお礼を言った。
いつもはおっとりしてるいちいさんが、あんな風に怒ってくれたのは、それだけオレのことを大事に思ってくれてるからだって、わかってるから。
「雨花様……大老様のお言葉は、お気になさることはありません。奥方様をお決めになるのは若様なのですから」
ようやく謝るのをやめてくれたちいさんにそう言われて、自分が大老様に言われたことを思い出した。
「……あ、はい」
いちいさんが褒められたことに喜んで忘れてたけど、オレ、大老様に、駄目候補って言われたんだった。
家臣さんたちにも、同じように言われてるのかな?オレ……。
確かに、いちいさんが言う通り、奥方様を決めるのは家臣さんたちではなく"若様"だろうけど。
その若様って、大老様に頭の上がらない、あの皇のことだよね?はぁ……。
自分の嫁を決めるのに、家臣の言いなりにはならないって、いつか皇が言ってた。
だけど、鎧鏡の家臣さんたちを、何より大事にしている皇が、家臣さんたちから悪く言われてる候補のこと、わざわざ嫁にすると思う?
「……」
……思わない。
部屋に戻ってベッドで目を瞑ると、今日一日が、いかにふっきー祭りだったかってことばかり、頭に浮かんだ。
みんながお詠様お詠様って言ってたし。何より、サクヤヒメ様への舞を奉納し終えたふっきーを迎えに行った皇の顔が、去年ふっきーを迎えた時よりも、嬉しそうに見えた。
大老様は、ふっきーの存在は鎧鏡家の誇りって言ってたけど、皇にとっても、ふっきーは自慢の候補だろう。
いつか、皇はオレに聞いたっけ。
オレにとって皇は、自慢出来る存在なのかって。
皇はオレにとって、めちゃくちゃ自慢の存在だよ。
だけど……じゃあ、オレは……?
オレは……皇にとって……。
「……」
行事参加もまともに出来ないオレの何を、皇が自慢出来るっていうんだろう?オレ自身にだって、わからないのに……。
明日は久しぶりに皇が渡って来る日だ。
そのため、合宿は明日もお休みになっていた。
皇には……会いたい。
だけど……。
早く勉強をしなくちゃと、気ばかり焦る。
駄目候補とか、思われたくない。もっともっと勉強して、絶対東都大に入らなくちゃ!
でも、勉強が出来るだけじゃ駄目だよね。しっかり行事参加出来なくちゃ、家臣さんたちの、オレが候補で大丈夫かよ?って思いは消えないと思う。
でも、家臣さんたちの気に当たって具合が悪くなるみたいなのに、それをどうしたらしっかり行事参加出来るっていうんだろう。
「わかんないよ……」
べそをかきそうになって、ぐっと喉を絞った。泣いたって何の解決にもならない。
「……」
考えてもわからないものはわからない!柴牧の母様なら、とにかく動くべし!って言うだろう。
動くべし?そうだ!とりあえず丈夫な体を作れば何とかなるんじゃない?健全な精神は、健全な肉体から生まれるとかなんとか言うし!
健全な肉体になれば、行事でも倒れなくなるかもしれない。
良し!まずは筋トレだ!
「うおおおお!」
大老様の言うことは間違ってない。
ろくに行事にも出られない候補が、嫁になって大丈夫かよ?って、思うよね、普通。
オレが家臣でも、そんな候補、不安だよ。
ふっきーみたいに、みんなからすごいって言われるようなことは出来なくても、せめて家臣さんたちから、こいつで大丈夫かよ?なんて思われそうな不安要素はなくしたい。
オレは、皇が大事にしてる家臣さんたちを守りたいから、医者を目指してるっていうのに、その家臣さんたちを不安にするようじゃ、医者目指すうんぬん以前の問題じゃん!
「ぬおおおお!」
もー!うだうだ悩む前に、筋トレだ!
筋トレして、勉強だ!
皇に、もう心配そうな顔をさせたくないから、とりあえず今出来ることをやって、医者になるって決めたじゃん!そうだよ!今うだうだ悩んで、やれることをやらなきゃ……願い通りの未来が来なかった時、オレ、きっと自分のこと、めちゃくちゃ嫌いになる。
「ぐおおおお!」
筋トレして、勉強して、医者になる!
そしたら……。
そうなれた時には……さ。
オレ……皇の……その……自慢に、なれる、かな。
自慢されることが目標じゃない、けど……。
自慢、とかされたら、やっぱり……嬉しいもん。
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