343 / 584

夏休み~結果~⑦

「どれだけ俺を傷付けたか……こうでもしなきゃ気付きもしなかったくせに!」 塩紅くんは、皇を睨みつけた。 頂点に近い太陽が、ジリジリと背中を焼くように照りつけていた。 だけど、一気に全身から吹き出した汗は、太陽だけのせいじゃない。 塩紅くん……何で? 昨日から、ずっとぞわぞわしてた背筋を、ひんやりと汗が一筋流れていった。 ずっと消えなかったイヤな予感は、このこと、だったのかもしれない。 ずっと塩紅くんに睨まれている皇が、どんな顔をしているのかわからない。でも、椅子に座っている皇は、少しも動かない。 皇が……塩紅くんを……傷付けた? どういう、こと? 「俺は……鎧鏡の嫁になるために、たくさん努力してきたんだ!俺のほうがずっとずっと努力してるのに!あんたは俺を見もしない!平気で人の努力も気持ちも踏みにじってるあんたが鎧鏡の次期当主なんて、鎧鏡家はあんたの代で終わりだよ!」 「若様に何て口をっ!」 塩紅くんのお父さんは、もう一度、音が出るほど塩紅くんの頬を平手打ちした。 「……こんな俺を放って、あんたはもうどこにも行けない」 打たれた頬を押さえながら、項垂れる塩紅くんが呟いた声は、オレにも微かに聞こえてきた。 「今一番行きたい場所に、もうあんた、行けないよね。わざわざ帰ってきたのにさ。ちょっとはわかってくれた?俺の絶望感」 そう言って、皇に向かって顔を上げた塩紅くんは、ボロボロ涙をこぼしていた。 「あんたはもうあいつのところに行けない!」 「雪佳!」 また塩紅くんに向けて手を上げようとした塩紅くんのお父さんが、周りの人に羽交い絞めにされてベッドから離された。 「あんたが行ったところで、あいつ、あんたのこと受け入れないよ?俺がこうまでしたって知ったら……」 塩紅くんは、包帯が巻かれた左手首を大事そうに撫でた。 塩紅くんが言ってる『あいつ』って……。 「あいつ、そういうヤツじゃん」 そう言った塩紅くんが、皇に向けてにっこり笑った。 塩紅くんのその顔を見て、足がガクガク震え始めた。 吐き気がする。 気持ちが悪い。 立っているのが辛くなって、その場にしゃがみ込もうとすると、スッと後ろから誰かに体を支えられた。 驚いて振り向くと、ここのいさんが眉を顰めてそこにいた。 「こ……」 『ここのいさん』と、呼ぼうとすると、口に人差指を当てたここのいさんが、小さな声で『しぃ』と、言った。 ここのいさんに抱えられるようにその場を離れて、人の気配がしない三の丸の表玄関に連れて行かれた。 そこには梓の丸の車が停まっていて、中からいちいさんが急いで降りて来た。 「雨花様」 「……」 ちょっと実家に電話をしてくるなんて言ったくせに、こんなところにいることを謝ろうと思うのに……何の言葉も出て来ない。 体が震えて、何か言ったら、吐きそうだ。 ……認めたくない。 今見たこと全部、夢なら、いいのに。 ここにいることも何もかも……全部全部……夢ならいいのに。 じわりと滲んだ涙が、つぅっと頬にこぼれるのと同時に、頭が割れそうなほどの大音量で、セミの声が耳に刺さった。 咄嗟に耳を塞いでその場にしゃがみ込むと、地面の熱に体を包まれて、景色がぐにゃりと曲がって見えた。 「雨花様っ!」 「……ごめ、な……さ……」 夢じゃない。   オレが……塩紅くんが言ってた『あいつ』、だ。 どうやってここまで戻って来たのか、途中の道を覚えてない。 梓の丸の屋敷に戻って、転がるように部屋のベッドに横になった。 誕生日パーティー……どうなったんだろう?でも……ごめんなさい。今、それどころじゃなくて……オレ……。 皇に向けられた塩紅くんの笑顔が……怖かった。 不思議と塩紅くんのそんな顔をはっきりとは思い出せないのに、怖いって感情だけが強烈に残って、ベッドに横になったまま、何度もえずいた。 塩紅くんが言った『あいつ』は、オレだ。 オレのせいで、皇は塩紅くんに、あんな風に言われて……。どうして……オレが何を……。どうして? 塩紅くんが……手首を切ったのは……オレの……せい? 「うっ……」 ハァハァと荒い息をしながら、必死で吐き気を散らそうと、クーラーの温度を一気に下げた。 体の奥からおかしな熱さが込み上げてくる。 体が心臓だけになったみたいだ。 バクバクバクバク、心臓が動いてることしか考えられなくなって、怖くて怖くて、いちいさんを呼ぼうとベッドから体を起こした時、ドアをノックされた。 いちいさん? 「は……」 気持ちが悪くて、返事もろくに出来ない。 「雨花様?大丈夫ですか?!入りますよ!」 いちいさんの声だ。 安心して、じわりと涙がわいてきた。 だけど……開いたドアから真っ先に見えたのは、眉を寄せた大老様だった。

ともだちにシェアしよう!