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夏休み〜母と母〜③

二の丸の屋敷から出ると、ひぐらしのカナカナという鳴き声が聞こえてきた。さっきまで快晴だと思っていた空に、大きな入道雲がわいている。 いちいさんと一緒に梓の丸に戻るまでに、空は急速に暗くなった。 遠くでゴロゴロと雷の音がしている。 屋敷に入ってすぐ、バタバタと激しい夕立の音が聞こえ始めた。 パーティーの片付けをしてくれていた側仕えさんたちに、パーティーを中断させたことを詫びてから和室に向かった。 誕生日プレゼントの礼状の続きが書きたかった。 和室の窓に強くぶつかる雨粒の音が、耳に心地良く響く。 皇……。 会議はまだ、続いているだろうか? 吐き気はだいぶひいたけど、夕飯はおかゆを焚いてもらって食べた。 プレゼントを全て開き終える頃には、激しかった夕立も止んで、怖いくらい静かになった。 一番最後に、皇への礼状を書こうと筆を取ったところで、鶯張りの廊下を歩く、賑やかな足音が聞こえてきた。 皇?! 何となくそんな気がして急いで筆を置くと、扉の外からいちいさんがオレを呼んだ。 「雨花様、よろしいでしょうか?」 「はい」 「若様がおみえです」 やっぱり!急いで扉を開くと、いちいさんの後ろに立つ、皇の姿が見えた。 「皇……」 名前を呼んだだけで、何も言えず立ちすくむと、オレの目の前まで来た皇が、じっとオレを見下ろした。 「雨花……」 皇も、それ以上何も言わずに、体重を預けるみたいにオレを抱きしめた。 いちいさんは『何かご用があればお呼びください』と、部屋の扉を閉めて、すぐに行ってしまった。 「……大丈夫?」 オレにもたれかかっている皇は、オレに抱きついているみたいだ。 「そなたの顔を見た途端……気が抜けた」 「え?」 皇はオレを抱きしめながら『雨花』と、確かめるように呟いた。 「ん」 ……いるよ。ここにいるよ。 皇の背中をポンポンと軽く叩くと、皇はさらにオレをぎゅうっと抱きしめた。 直臣衆さんと家臣団さんが揃う『衆団会議』は、鎧鏡一門の指針を決める最重要会議なのだと、駒様から教えられたことがある。 家臣団さんは皇にとって、お館様の側近っていう意識があるんだと思う。 家臣団さんのことを、皇はよく『お館様の家臣団』って言ってるし、話の端々から、怖い存在なんだろうってことが漂ってくるから。 皇は、自分にとってそんな存在の人たちを仕切ってきたんだ。 すごく、気を張ってたんだよね? 皇をしっかり受け止めるように、強く抱きしめた。 「晴れを……国外追放処分とした」 「え?」 国外、追放? 「大老の言う通り、晴れのしたことは、鎧鏡の嫁候補を(あや)めようとしたことと同義。鎧鏡一門への重大な裏切り行為であり、その罪は重い。衆団会議にて、晴れ本人が償う必要があるとの意見で一致し……余が決定を下した」 「……そっか」 「一門より永久追放すべきとの意見も出たが……突っぱねた。だが……晴れ自身は、それを望んだやもしれぬ。晴れは……余を当主とは認めぬと申しておったゆえ」 「オレは……皇が塩紅くんを永久追放なんてしないでくれて、良かったと思うよ?」 永久追放なんかしたら、これからずっと皇は、塩紅くんに認められないままになっちゃう。 今は認めないって思ってるかもしれないけど……皇が当主になった姿を見れば、いつかきっと塩紅くんだって、皇を認めてくれる日が来ると思うんだ。その機会を、無くさないで欲しい。 「そうか……」 皇はオレの頭に額をつけて、小さく息をついた。 「余がひとたび決定を下せば、何万という家臣が、余の決定を実現するために動き出す。それがいかに滑稽なものだとしても、鎧鏡一門にとって余の決定は絶対だ。そうであるからこそ余は……誤った選択をしてはならぬ」 「……ん」 「余の決定に異論を唱える者はおらぬ。ゆえに……誠これで良かったのかと……確信が持てず……不安に思うた」 「……そっか」 「だが……そなたは余の決定なぞ、絶対などと思うておらぬであろう?そのそなたが、これで良かったと申すのであれば……誠、これで良かったと思える」 皇は、オレの背中をギュッと握った。 「ん。オレは、永久追放なんてしないでくれて、良かったって思うよ?」 「ああ」 皇は、抱きしめていた腕を緩めて、オレをじっと見た。 「……雨花」 「ん?」 「母君には会えたか?」 「あ!うん。……お前、それどころじゃないのに……母様のこと呼んでくれて、ありがとう」 「ああ。礼は言えたか?」 「うん。言えた。……そしたらね?」 「ん?」 「初めて母様から、誕生日おめでとうって……言ってもらえたんだ。生まれて来て良かったねって」 「……そうか」 皇は『余からも、礼をせねばならぬな』と、表情を緩めた。

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