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夏休み〜母と母〜④

「ああ……雨花」 「ん?」 皇は、着物の袖口に手を入れて、たもとから小さな箱を取り出した。 「何?」 「ケーキのプレートは溶けておったのであろう?代わりのプレートだ」 そう言って、皇が開けた箱の中に『You are』とだけ彫られている、銀色のプレートが見えた。 「え?」 「急いでおったゆえ、今はここまでしか彫っておらぬ。全ての言葉を刻む日まで、去年のプレートと共に、冷やしておくが良い」 冷やしておけって、このプレート、どう見ても金属じゃないの? 「……この先、何て続くの?」 You are……そのあとの言葉が、知りたい。 片眉を上げた皇は『今は聞くな』と言った。 「ケーキのプレートに書かれてた言葉とは、違うの?」 「違う。今年のプレートは食すとそなたが頑なに申しておったゆえ、ケーキのプレートには、余の名を刻ませてあった」 「は?」 何でお前の名前?普通、誕生日ケーキのプレートって、誕生日の人の名前が書かれてるものじゃないの? 「そなたの腹に入る言葉だ。何と刻もうかしばらく悩み、余の名を刻ませた。だが、そなたの腹に入る前に、余の名は溶けて消えたのであろう?もう二度と、そなたに贈る言葉は、消え失せるような物には刻むまい。……受け取れ」 皇は、プレートをオレに渡した。 「ありがとう」 「ああ」 プレートを胸に抱えたオレを、皇はもう一度抱きしめて見下ろした。 「雨花。……これから余は、晴れのもとに、決定事項を伝えに参る」 皇は、プレートを持つオレの手をギュッと握った。 皇が、自分で伝えに行くの?塩紅くん、本人に? オレだったら……そんなの怖くて、仕方ないと思う。 皇だって、怖くないわけないんじゃないの? それでも皇は……自分で、行くんだ。 「皇……柴牧の母様がね?」 「ん?」 「幸せになるために必要な物は、生まれた時からみんな持ってるんだって言ってた。だから、オレもお前も……塩紅くんも大丈夫だって。オレも、そう思う。だから……大丈夫だよ」 皇を強く抱きしめると、皇はしばらく黙ったあと、小さく笑ったようだった。 「そなたの強さは、父譲りかと思うておったが、母譲りやもしれぬな」 「え?」 「そなた、恐ろしくはなかったか?」 「何が?」 「大老に、あのように口ごたえしおって」 「あ……大老様、怒ってた?」 「いや。笑っておった」 「嘘?!」 「そなたにそのような嘘はつかぬ」 「本当?」 「ああ。……そなたは……強いな」 「……うん。強いよ、オレ」 お前を守るって、決めたから。 「オレ……ここにいるからね?」 お前のそばに……。 もう一度、皇を強く抱きしめた。 「雨花……」 皇は、オレの顔をまじまじと見て、オレの髪をさらりと撫でると『少し見ぬ間に伸びたな』と言いながら、オレの耳に髪をかけた。 皇の指から、体温が伝わる。 さっき大老様と一緒に来た時に触れた皇の指は、すごく冷たく感じたのに、今はいつもと同じで、あったかい。 皇のいつもの体温に、泣きたくなるくらい、安心した。 「雨花。もう、惑うのも悔いるのも(しま)いだ。余は……これより先に進む」 皇はそう言うと、オレの頭をポンッと撫でて、ふわりと笑った。 「今こそ、誠……そなたの存在に感謝致す」 「え?」 「行って参る」 「あ……うん。……いってらっしゃい」 皇は、もう一度オレを胸に抱きしめたあと、和室を出て行った。 「……」 鶯張りの廊下を去って行く皇の足音を聞きながら、何故か涙が込み上げて、声を殺してしばらく泣いた。 塩紅くんは夜のうちに、お父さんに連れられて実家に戻ったと、翌朝いちいさんからそう聞いた。 家臣さんたちには、塩紅くんが病気の静養で海外に渡るため、宿下がりをしたと発表された。 塩紅くんのお父さんも、八月いっぱいでしらつき病院を辞めて、一緒に海外に渡ることになったらしい。 皇はこれから、お館様と一緒に、塩紅くんが宿下がりをしたあとの処理に追われることになると聞いた。 お盆が過ぎたあとも、しばらく渡りは中断されると通達が来たから、すごく忙しいんだと思う。 候補が一人減るのは、一人増えるよりも大変なことらしい。 桐の丸の使用人さんたちは、本丸や三の丸に振り分けられたと聞いた。それだけでも、候補が一人減ることで、たくさんの人の環境が変わってしまうのだということがわかる。 もっと他にも、色んな変化があるんだろう。皇は、お館様と一緒に、そういった対応に追われているんだと思う。 皇は……進み始めたんだ。 オレも、くよくよ悩むのも、自分を責めるのもお終いにして、前に進まなくちゃ! オレは早々に、受験勉強を再開させるため、合宿所に戻った。 オレも、前に進みたい。 皇と……並んでいたいから。

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