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嫉妬⑪

皇が通っていたっていう、あの特殊な幼稚園を出た人たちはみんな、何らかの形で『筆下ろしの儀式』をしてるよ……と、衣織は当然のことのようにそう言った。 当主たるもの、夜伽も完璧でなくてはならないというのは、鎧鏡家や藍田家みたいな古い家柄のうちからしたら、当たり前のことらしい。 そういえば皇も、鎧鏡の当主たるもの、嫁を心身共に満足させなければならないとか……言ってた。 っていうか……筆下ろしの儀式って……何するの?いや、筆下ろしが何か……は、わかってる、けど……。 皇も……その儀式、やったんだ? いや、オレが鎧鏡家に来た時にはもうすでに皇は、他の候補様たちと、そういう関係だったわけだし。 ……誰が皇の最初の相手か、なんて、考えた事、なかったけど。 っていうか、衣織……男女共筆下ろししたって……藍田家、女人禁制じゃなかったの?え?まさか……皇も? しどろもどろに『お前、男女共って……女人禁制じゃなかったの?』って聞いたら、当主に選ばれたら”女人抜き”とかいう儀式があるんだと話し始めた。 何それ……。 「何?その嫌そうな顔」 「え?何か、日本昔話みたいだなって……」 「あははっ。でもうちは、鎧鏡家ほどじゃないと思うけど?」 衣織は、鎧鏡家の次期当主と最初に床を共にする相手は、一生その次期当主に心を奪われてしまうっていう言い伝えがあるから、一生心を奪われて当然の次期当主の上臈が、筆下ろしの相手をするって決まってるんでしょ?全然うちより、日本昔話じゃん!……と、笑った。 そのあと、そういえば、すーちゃんの初恋って駒だって静生が言ってた、とか言いながらまた笑ったけど……オレは笑い返すどころか、何の反応も出来なかった。 「雨花?どうしたの?」 駒様の名前が出た途端、オレの頭の中で、皇の筆下ろしの儀式が現実味を帯びた。 次期当主の上臈が、筆下ろしの相手……。 しかも皇の、初恋の、相手? 嘘……。 だって駒様、私は候補の前に上臈ですって言ったじゃん! とっさにふっきーに『皇の筆下ろしの相手って……』と、聞くと、ふっきーは『うん。駒様』と、即答して『色々なしきたりがあってすめも忙しいよね』と、ニッコリした。 ふっきーにとっても、笑っていられること、なんだ?ショックとか、ないの?ふっきーは鎧鏡家の家臣として、皇が良ければそれが一番の望みとか言えちゃう人だし……そんなこと……気にするわけないってこと? 衣織は藍田の次期当主候補だし、筆下ろしの儀式も、儀式として受け入れてて当然なんだろうけど……。 いや、ふっきーも、鎧鏡家の儀式ならむしろやってなきゃダメでしょ!って思ってるんだよね、多分。 だって……鎧鏡家の"儀式"なんだから。やらなきゃいけないこと、なんだから。 オレだって……儀式なんだし、やらなきゃいけなかったんだって、理解は出来る、けど……。 皇が他の候補様と……そういうこと……してるのはわかってたし……オレより先に、他の候補様たちと夜伽をしてたのなんか、わかりきってたはずで……。 わかってたよ!今更、何でこんなショック受けて……。 だって……一番最初の相手とか……すごく特別な響きで……それが、まさかの駒様で……しかも……皇の初恋の相手が駒様って……。何だよ、それ……。 駒様は、自分は候補の前に上臈だなんて言ってても……皇は、全然そんな風に思ってないんじゃないの? だって……そうだ。あげはが言ってた。駒様は夜伽上手で……だから若様は駒様に一番多く渡ってるらしいって。 皇が三歳で泣かなくなった理由だって、駒様を守るためで……。皇にとって駒様は……その頃からずっと、誰より特別な存在、で……。それは、今、も? そのあと、多分……生徒会の仕事をして屋敷に戻ったんだろうけど……何をどうやったのか、全然覚えてない。 ずっとぼんやりしてて……夕飯も食べたんだろうし、高遠先生の授業も多分受けたんだろうけど……よく、覚えてない。 「雨花様、おはようございます。今日は早めに登校なさるご予定でしたよね?」 「……いちいさん……」 「もう起きていらっしゃいましたか。おはようございます」 嘘。もう、朝? 夕べ、寝た? それすら……よく、わからない。 「……おはよう、ございます」 駒様が、皇の筆下ろしの相手で……初恋の人。 何で昨日、そんな話になったんだろう? オレに皇を諦めさせるために、衣織がそんな話をし始めた……わけない。衣織はそんなことするヤツじゃない。 わかってるけど……そんな話、聞きたくなかった。 「どうなさいましたか?」 「いえ……」 駒様、違うって……言ったのに。 候補の前に上臈だって、私のことは気にしなくていいって……言ったじゃん! 言ったのに……。

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