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学祭騒動再び~ニ日目・決別~⑥

「雨花」 皇の、低くて優しい声がオレを呼んでる。 もう、昼?なのかな? 皇に『雨花』って呼ばれるの……すごい……好きなんだ。 皇の、この独特な香りも……大好き。 オレの頭を撫でる、おっきくてあったかい手も……大好き。 安心して、また眠くなる。 皇がオレのことをこんな風に、抱き枕を抱くみたいに抱きしめてくれるのも……ちょっと苦しいけど……好き、だよ。 駒様のことを聞いてから、ずっとざわざわしてた気持ちは、スッキリ消えたわけじゃないけど……。 駒様が嫁候補の保険だとしても、オレで決まったわけじゃないんだし……。 それでも……皇が嫁を決めるその時、もっと頑張っておけば良かったなんて、そんな後悔はしたくない。 今まで、こんなに誰かと離れたくないなんて……思ったこと、なかった。 皇が、初めてなんだ。 離れたくないんだから、離れなくてもいいように、頑張りたい。 もう一度、皇の声で名前を呼んで欲しくて、オレは目を開けなかった。 「雨花」 小さく、優しくオレを呼ぶ皇の声。 もっと……呼んで欲しい。 「……」 目を開けないオレの頬を撫でて、皇はおでこにキスをすると、そのままオレを抱きしめて、それ以上もう名前を呼んではくれなかった。 っていうか、ちょっと! 「起こしてって言ったじゃん」 口を尖らせながら目を開けると、オレを見下ろしていた皇と目が合った。 驚きもせずに、皇はふっと笑って、さらりとオレの髪を撫でた。 「狸寝入りは終いか?」 「う……」 起きてたの、バレてた? ホント変なとこ鋭いんだから。 恥ずっ! 「体調はどうだ?」 「ん……もう大丈夫」 少し寝たからか、吐き気はおさまっていた。もう大丈夫そうだ。 うん!オレ、大丈夫だ! オレを抱きしめる皇の腕を外して、ソファから立ち上がった。 「行くのか?」 「うん。……皇」 「ん?」 「昨日……衣織に、嫁になること、真剣に考えて欲しいって言われた」 「あ?!」 「だから……衣織の嫁にはならないって、ちゃんと言ってくる。じゃあね!」 オレは、皇の顔も見ずに、零号温室を飛び出した。 去年、本多先輩にキスをされて、気持ちがザワザワした時、皇がオレのことをどう思っていようが、オレはどうしようもなく皇のものなんだって思ったことを思い出した。 その気持ちは、今も……同じだ。 皇が何を考えて、誰を思っているのかわからない。 だけど……オレは、どうしようもなく、皇が……好きだよ。 温室を飛び出したあと、時間を確認するために携帯電話を開くと、衣織から『審査は僕がやっておくからゆっくり休んで』というメッセージが入っていた。 女装コンテストの着替えまではもう少し時間がある。 オレは衣織に『悪い。今起きた。これから合流する』と返事をした。 衣織と合流したら、急いで残りの審査をして、女装コンの支度をしないといけない。 個人的な話は、女装コンが終わってからがいいだろう。女装コンが終わったら、ちゃんと衣織に伝えよう。 オレは……皇が好きだって。 少し緊張しながら衣織と合流して、出し物の審査を終わらせたあと、今年も手伝いに来てくれたななみさんととおみさんに女装してもらった。 去年同様、特殊メイク張りの完全な女装だ。 去年も思ったけど、オレが女装すると、まるっきりはーちゃんだ。 バタバタとステージ裏にみんなで並んだ時には、女装コンテスト開始10分前になっていた。 司会の挨拶のあとに、審査委員の紹介が始まった。 女装コンテストの審査委員長は、田頭ではなくサクラなので、副会長、会長、書記、会計の順に紹介される。 紹介のオオトリになる衣織は、顔は可愛いけど、ガタイのいいナースさんだ。衣装決めの時に持たされていた神猛学院女子部の制服は、てんてんに譲ったらしい。 そのてんてんがステージに上がって行き、舞台袖に二人になると、衣織はオレに『具合が悪くなったらワタシが診てあ・げ・る』と、言いながらウインクした。 「余計気分悪くなりそうだ」 「酷いわぁ!」 出し物審査のために衣織と合流した時、衣織はそれまでと何も変わらずに接してくれた。何も聞かず、何も言わないでいてくれた。 そういうところ、衣織は本当に……優しいんだ。衣織が優しいから、色んなことを怖がって、自分の気持ちをはっきり伝えてこなかったことにまた罪悪感が湧いた。 これが終わったら、ちゃんと伝えるから……。 ナースになりきっている衣織の小芝居に付き合っているうちに、舞台のほうからオレの名前が呼ばれた。出番だ。 「先、行くな?」 「うん。……頑張って」 衣織は笑って、オレの背中をポンッと押した。 お前の優しさにオレは……何度も何度も、助けてもらった。 甘えてたんだ。 オレを好きだって言ってくれる衣織の気持ちに、甘えてた。だけど……もうこれ以上、お前を振り回すのはやめる。 これが終わったら……ちゃんと伝えるから。 「ああ」 衣織に向けて親指を立てて、ステージに向かって歩き出した。

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