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学祭騒動再び~最終日・嗚咽~⑨

皇の不機嫌の原因が、自分のような気がして仕方ない。 心配になって後ろを振り向くと、気付いた皇が、オレの頭を撫でた。 皇……。 口を結んだ皇が、プツッと電話を切った。 「大老様……なんて?」 皇は何も答えずオレを抱き上げると、正面から膝に乗せて、ぎゅっとオレを抱きしめた。 「……皇?」 「……」 皇は何も答えてくれない。 その時、また電話が鳴った。 え?また、大老様? 「大老様?」 電話を見た皇にそう聞くと、首を小さく振って『詠だ』と、答えた。 「え?」 えいだ……って……。詠?ふっきーからって、こと? え?だって……候補に連絡先は教えちゃいけないって……言ってたじゃん。 なのにどうして……ふっきーから、お前の携帯に電話がかかってくるの? 皇は携帯電話を握ったまま、出ようとしない。 ふっきーがどうして皇の連絡先を知ってるのか、すごく、気になる。 だけど、ふっきーが皇に電話をしてきた用件は、あの嫌がらせのことなんじゃないかって、すぐ頭に浮かんだ。 「出ないの?」 「……」 「ふっきー、多分、すごく大事な話だと思う」 ふっきーはずっと、嫌がらせのことを皇に言うのを嫌がっていたし、この電話が本当に、嫌がらせの話をするためにかけてきたのかわからない。 だから、オレが勝手に皇に、ふっきーへの嫌がらせの話をしたらいけないと思って曖昧にそう言うと、くっと顔をしかめた皇が、ピッと通話ボタンを押した。 「ああ……ああ……」 そう言ったきり、しばらく黙った皇は、オレをじっと見たあと『そちらに参る』と言って、電話を切った。 そちらに、参る……? 「雨花……」 口を結んだ皇がオレを呼ぶ声に、胸をしめつけられた。 皇は……これからふっきーのとこに……行く。 「オレ……ふっきーの用事……大体わかってるんだ。だから……早く行ってあげ……」 言い終わらないうちに、バシャンっと大きな水音を立てて、皇はオレを強く抱きしめた。 「皇……」 「青葉」 そう呼ばれて、ドキリと胸が鳴った。 「余の願いを忘れるな」 「え?」 皇はお風呂を出て、ささっと新しい着物を着ると、まだ湯船に浸かってボーっとしているオレのところに戻って来た。 「……」 何も言えずに皇を見上げると、皇も何も言わずにふっとキスをして、温室を出て行ってしまった。 「……」 どれくらい湯船に浸かってたんだろう?手を見るとしわしわになっている。その手にぎょっとして、ようやくお風呂から出る気になった。 のろのろと這い出て、パンツとシャツだけを着た。 皇は、多分もう……戻らない。 屋敷に帰る時、制服を着ればいい。それまでは、パンツとシャツだけで、いっか。 「……」 早朝ここに来た時より、温室の中はずいぶんまぶしくなっていた。 天井を見上げると、太陽はだいぶ高い位置まで昇っていた。 時間も気にしていなかったけど、もうすぐお昼になるのかもしれない。 「いつ、帰ろっかな」 ソファに横になると、そこに皇の匂いがしみ込んでいる気がした。 ふっきーのところに行ってしまった皇のことを考えると、どうしても、心が重くなる。 『余の願いを忘れるな』って……皇の願いって、昨日……言ってくれた、あれで、いいの? そうであって欲しいけど……そうだとしたら今は、その願いを叶えられない。 オレ……お前がいれば、何でも楽しいよ?でも……お前、いないじゃん。 いつ帰ってもいいって言ってたから、今日はずっと……一緒にいられるんだと思ってた。 だけど……ふっきーのところに、行っちゃったじゃん。 昨日、具合の悪い駒様より、オレのことを優先してくれたって……また人と比べて、どこかで喜んでいた自分が、しっぺ返しをくらった気分だった。 ふと、温室の中に流れる川が視界に入った。 川の中に、キラキラと光る何かがある。 川の近くまで歩いて行くと、オレが好きだろうからと、皇がここに放してくれた鯉の稚魚のひれが、南中近くまで昇ってきた太陽の光を受けて、キラキラと光っているのだとわかった。 「お前たち、ちょっと大きくなったね」 ランチ当番以外で、ここに来ることはない。皇がいないと入れない場所だし。そういえば、ここを出る時、鍵はかけないでいいのかな? ここを出る時、一人だったことがないから、鍵をどうしたらいいかなんて、オレ、わかんないよ。 「……お前たちが盗まれたらどうすんだよ。ね?」 どれくらいぶりに、ここの鯉を見たんだろう?やっぱり前に見た時より、大きくなってる気がする。 餌が欲しいのか、鯉の稚魚は、オレの足元にたくさん集まって来て、パクパクと口を開けている。 皇がいなきゃ、ここには入れない。 皇が連れてきてくれなきゃ、もう一生、ここの鯉を見ることは出来ないかもしれない。 「オレ……お前たちが大人になるところ……見られるかな」 ふいに、ポタリと零れた涙に驚いたのか、鯉は散り散りに逃げてしまった。 「あ……ごめん……」 あとからあとからこぼれる涙が、緩やかに流れる川にいくつも波紋を広げて……鯉はもう、オレのところに戻ってきてはくれなかった。

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