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5日②

ふっきーが、天戸井に腕を掴まれた場面が映った瞬間、オレは咄嗟に足を踏ん張った。ふっきーが落ちる!と、思ったからだ。 ……何で、そう思ったんだろう?……わからない。 だけど案の定、渦の中に映っているふっきーは、階段の途中で立ち止まっているオレのすぐ目の前で、大きく体勢を崩した。 渦の中のオレは、体勢を崩したふっきーを、階段の上に向かって思い切り突き飛ばした。 「そうだ……」 思い出した。 ふっきーが階段から落ちないように、オレ……体勢を崩したふっきーを階段の踊り場に戻さなきゃって、思って……ふっきーのこと、踊り場めがけて、思いっきり突き飛ばしたんだ。 で……その反動で、自分の体がフワッて、浮いて……。 その感覚が蘇って、体がブルリと震えた。 渦の中心には、ふっきーが無事、階段の踊り場に倒れ込んだ場面のあと、オレの体が階段下に打ち付けられてバウンドする姿が、スローモーションで映った。 階段の踊り場に倒れ込んだふっきーが、急いで起き上がって、何かを叫びながら階段下に駆け下りている場面で、川の渦は、ただの渦になって、何も映さなくなった。 二日目。 「そっか……」 すっかり思い出した。 オレ……階段から落ちそうになったふっきーを助けようと思って突き飛ばして、その反動で、自分が階段から落ちたんだ。 ぼうっとあたりを見渡すと、いつか聞いたことがある”あの世”の風景に、この場所が似ていることに気が付いた。 花が咲いていて、川が流れてて……。 そういえば、階段から落ちたのに、今、体は全然痛くない。 オレ……死んだの? その時、後ろのほうから『青葉』と、呼ばれた気がして、振り向いた。 「え?……父上?」 さっきまで人の気配なんて全くなかったのに、いつの間にか川の向こう側に、白い着物を着た男の人が立っていた。 『父上』と、つい呼んでしまったくらい、父上に似ている。だけど……よく見ると父上じゃない。 「戻りなさい」 「え?」 その人は『戻りなさい』と、川の向こう側からもう一度オレに話しかけてきた。 やっぱり声も、父上とはちょっと違う。 「今ならまだ戻れる」 「戻るって……」 「待っている人がいる場所に戻るんだ」 待っている人? すぐ皇が頭に浮かんだ。 ……バカだな、オレ。 皇はオレを待ってなんかない。だって皇は、ふっきーを嫁にするって、決めたんだ。 そうだよ。階段から落ちる前、ふっきーが言ってたじゃん。『僕はすめの奥方様になる』って。 その言葉に驚いて、階段の途中で立ち止まったんだった。 皇は、オレを待ってなんかいない。 待っているとしたら……。 大老様の『これ以上奥方様候補を減らして、若を困らせないで欲しい』という言葉をふっと思い出した。 万が一、皇がオレを待ってくれているとしたら、それは”オレ”が生き返るのを待っているわけじゃない。”鎧鏡家の奥方候補”が、生き返るのを待っているってことだ。 「……」 死んでても、胸って苦しくなるもんなんだな。 皇のことばっかり、頭に浮かんでくる。 オレ……本当に皇が……好きだったんだ。 でも皇は……ふっきーを選んだんだよね。 皇の嫁候補になって、大事にされて……皇のこと、どんどん好きになって……オレのこと、大事にしてくれる皇のこと、オレも大事にしたいって、思ってた。 皇の大事なものを、ずっと守りたいって……皇の一番近くで、皇の大事なものを守れる人になりたいって、思ってた。 だけど……戻ってももう、それは叶わない。オレは、皇の一番近くにはいられないんだ。 だったら……このままでいいんじゃないの?最後に皇の大事なものを、オレが守れたんだもん。皇が一番大事にしてる人を守って死んだんだから、もう、それでいい。 「オレ……いいです」 父上も、柴牧の母様もおばあ様も、はーちゃんも……多分、田頭とか、サクラもかにちゃんも……きっと悲しんでくれるだろうし、戻って来いって思ってくれてるとは思う。 それに、こんなことになっちゃって、ふっきーはすごく困ってるかもしれないよね。 でも……ごめん。 オレ……皇の大事な人を守って死ねたんなら、本望っていうか……。 「大好きな人の、大事な人を守れたから……もう、これでいいんです」 「駄目だ!戻るんだ!」 川の向こう岸で、父上に似た人は、必死な顔でそう叫んだ。 だって戻れって言われたって、どこにどうやって? そう思った時、ふと足元を流れるこの川が、三途の川だろうとピンときた。 そっか。この川を渡らないと、死んだってことにはならないのかな? 川に向けて一歩足を踏み出した時、雷のようなゴロゴロいう音が、上のほうから聞こえてきた。 ハッとして空を見上げると、さっきまで真っ青だった空に、灰色の雲が湧いていた。 灰色の雲は、みるみるうちに渦を巻いて、真っ二つに割れたと思ったら、その中心から一筋の光が、オレのすぐ足元に差し込んできた。 その光の中を、人の形をしている"何か"が、こちらに降りて来るのが見えた。 怖くなって逃げたいのに、空から差し込んでいる光に縫い付けられているように、何故か足が動かない。 光の中を進んできた”人”は、あっという間にオレのすぐ目の前に降り立った。

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