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5日⑥

「大事な方なら、戻って抱きしめて差し上げたらいい」 「でも……それは、オレがしてもいいことじゃ、ないんじゃ……。多分、近くに誰かいて……」 そう言うと、父上に似た人は、首を横に振った。 「お人払いなさっていらっしゃるのだろう。今、あの方を抱きしめて差しあげられるのは、お前しかいないんだよ、青葉」 「あ……」 ”青葉”って……。 「未来を恐れて、大事なことを見失ってはいけないよ。お前のおばあ様は、お前にどういう人間になって欲しいと言ってきた?」 「おばあ様は……大事な人を、守れるような人になりなさいって……」 父上に似た人は、オレの言葉に大きく頷いた。 「決めなさい、青葉」 皇を失ったと確信しに戻るのは……怖い。 でも今は……あんなに泣いてる皇を……泣かなくていいんだよって、抱きしめてあげたい。 「オレ……戻ります!」 「それでこそ、柴牧家の男子だ」 父上に似た人はニッコリ笑うと、オレの頭を優しく撫でた。 「あの……あなたは……」 もしかして……。 「時間がない。お前はこちらに長く居過ぎた。あの方のお力をお借りして、一刻も早く戻らなければ……」 「え?」 父上に似た人は、オレの手を強く引くと、ぐんぐん川を昇って行った。 すぐに上の方が明るくなって、桜の花びらが川面に浮かんでいるのが見えて来た。 「何の心配も要らない。みんなお前の幸せを願っているんだ」 そう言って、父上に似た人は、強く掴んでいたオレの手を離した。 「えっ?!」 その瞬間、オレは上の方から手首を掴まれて、グンッと引き上げられた。 川から顔を出すと、必死な顔をした銀髪の人が、オレの手首を掴んでいた。 「あ……」 川の下を見ると、父上に似た人が、どんどん沈んで行くのが見えた。 いや!あの人……絶対におじい様だ! 「まっ……オレより、おじい様を助けて!沈んでいっちゃう!」 銀髪の人に叫ぶと、銀髪の人は『今は無理だ!とにかくうぬが早くそこから上がれ!本当に戻れなくなるぞ!』と、怒鳴りながらオレを川岸に引き上げた。 「おじい様!」 おじい様は『ずっと見ている』と言って、微笑みながら、沈んで行ってしまった。 「おじい様っ!」 川に手を伸ばすと、銀髪の人がまたオレを抱きかかえて、引き止めた。 「本来、あちら側の存在がこの川に入ってはいけない。あの者は、下界に戻る覚悟をうぬに促すため、禁忌を犯してまで、うぬに下界の今の姿を見せた。うぬがこちらをさまよってすでに五日目だ。今日中に下界に戻らねば、うぬは戻れなくなる。急げ!あの者の思いを無駄にするな!」 おじい様……オレ……。 わんわん泣いている皇の姿が、ふっと脳裏に浮かんだ。 オレ……皇のところに、戻ります! 戻ったあと、絶対におじい様を助ける方法を見つけるから! 「でも!戻れって言われても、どうやって……」 「私がうぬを送る」 「え?」 「だが、この姿のままでは送れない。私の名を呼べ」 「え?」 私の名を呼べって言われても……知らないよ。 「さあ、急げ」 「え?だって……わかりません」 「うぬは私を知っている」 「えっ?!」 嘘!え?……知らないよ。え?誰? 「触れればわかるか?」 そう言って、銀髪の人は頭を下げると、オレの手を取って、自分の頭に乗せた。 えっ?! ……あれ? 懐かしい感触がする。 何度か銀髪の人の頭を撫でた。 この香りも、手触りも……え?嘘?まさか……。 「わかったか?」 顔を上げた銀髪の人と目が合って、確信した。 この目の色……。 「……シロ?」 銀髪の人は『ああ、そうだ』と、ふっと笑った。 「シロ?!本当に?!」 「今日のところは”シロ”でいい。だが、私の名は”(しろがね)”。うぬの守護者だ。覚えておくがいい」 「しろがね……」 「さぁ、私の名を呼び、思うままを命じるといい」 「しろがね、オレを皇のところに連れて行って」 「承知した」 シロは頷くと、大きな白い犬になった。 頭の中心に、一本の長い角を生やしていて、体の先端には、青白い炎のような物をまとっている。 「シロ?……いつもと姿が違う」 シロは何の返事もせず、背中に乗れと言うように、首を振った。 「ありがとう、シロ!」 オレが背中に乗ると、シロは空に浮かんでいる渦を巻く灰色の雲に向かって駆け出した。 雲の近くまで来ると、雲の中から『急げ!』という声が聞こえた。 この声……って、あれ? シロはぐんぐんスピードを上げて、雲の中に突っ込んだ。 「シロっ!」 あまりのスピードに振り落とされそうになって叫んだあと、喉が詰まって何度もむせた。 さっきまで軽かった身体が、異様に重く、体中痛い。 「雨、花?」 その声にゆっくり目を開くと、驚いた顔の皇が、いた。

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