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5日⑨

その時、静まり返った空間に、控えめなノックの音が響いた。オレの手をきつく握っていた皇の手から、ふっと力が抜けた。 「(えい)です」 扉の外から、ひっそりとした声が聞こえてきた。 えい?……って、ふっきー?! 咄嗟に時計を見ると、夜中の二時半を過ぎている。 こんな真夜中に、どうしてふっきーが?皇と一緒に、オレに嫁の話をするために来た……とか? そんなの……そんなの今、聞きたくない。 「どう致した?」 皇はオレの手を握ったまま、病室の扉の外に向けてそう聞いた。 ふっきーが来たのにいいの?手を離さなくて、いいの? 心臓が、確実にさっきよりドキドキし始めた。 「雨花様が目覚めたと連絡を頂き……夜分遅くに失礼は承知の上で、どうしても一言……どうしても……謝罪させて頂きたく参じました」 謝罪?なんで?オレが落ちたこと?ふっきーが謝ることなんてないのに! 「余と雨花以外おらぬ。入れ」 皇がそう声を掛けると、すぐに横開きの病室の扉が、静かに開いた。 扉の向こうに、やつれた顔をしたふっきーが、今にも泣きそうな顔で立っていた。 「ふっきー……」 別人みたいだった。こんなふっきー、見た事ない。こんなにやつれた顔で、真夜中に謝りに来てくれたの? オレ……ふっきーにも、ものすごく心配かけてたんだ。 オレが階段から落ちたことを、ふっきーがすごく気にするだろうってことは、想像出来てたのに……。 なのにオレは、皇がふっきーを選ぶなら戻りたくないなんて、そんな理由で……ふっきーをこんなに、追い詰めていたんだ。 皇の気持ちがオレにないことは、ふっきーのせいじゃないのに……。そんな理由でオレがこっちに戻るのを拒否していたせいで、ふっきーはこんな……別人かってほどやつれて……。 「雨花ちゃん、ごめん!僕は……」 「違っ!オレこそごめん!」 「何で雨花ちゃんが謝るの!雨花ちゃんが階段から落ちたのは、僕を助けようとして……」 「違う!あ、いや、違わないけど!そうじゃなくて!ふっきーが謝ることなんか……」 「違う!謝ることばっかりなんだ!僕は……本当に……ごめん!本当に……」 ふっきーは、泣いてしまうんじゃないかという顔で、もう一度小さく『ごめん』と、呟いた。 何でそんな……ふっきーにそんな謝られることなんか、一つもないのに。 「ふっきー……そんな……オレのほうがごめん」 「違う!僕のほうが!雨花ちゃんを守るべき……」 「詠!」 皇に強い口調で名前を呼ばれて、ハッとしたようなふっきーは、そこで急に言葉を止めた。皇をちらりと見たあと、自分の胸に手を置いて、ふぅと小さく息を吐いた。 僕のほうが雨花ちゃんを守るべき……?ふっきー今、そう言ったよね?守るべき、何なの? でも、それを聞ける雰囲気じゃなかった。皇が怖い顔で、ふっきーをじっと見ていたからだ。 何でそんな怖い顔で、ふっきーを見てるの?ふっきーは、お前の嫁になる人、なんだろ? 「もう良いであろう。雨花は未だ絶対安静だ。()ね」 「ちょっ……なっ……」 ふっきーに『去ね』とか、言うなんて……。お前、ふっきーを嫁に決めたんじゃないの? 「本当に……申し訳ございませんでした」 ふっきーは皇に向かって深々と頭を下げて、部屋を出て行こうとこちらに背を向けた。 「ちょっ!待って!ふっきー!」 「何故引き留める?」 皇が不機嫌そうに、オレの手を強く握った。 「だって!ふっきーは……」 「あ?」 だってふっきーは、お前が選んだ人なんじゃないの? 「だって……いいの?」 「どういう意味だ?」 「だってお前、ふっきーのこと……」 好き、なんじゃないの? 怖くて、その質問が出来ない。だってその答えを、聞きたくない。 その時、病室の扉のほうまで歩いていたふっきーが『ちょっと待って』と、またこちらに戻って来た。 「雨花ちゃん、もしかして誤解してない?気になってたんだ」 「え?」 誤解って……何を? 「僕がすめの奥方様で決まりだとか、思ってるんじゃないの?」 「えっ?!違うの?」 咄嗟に皇を見ると『あ?どういうことだ』と、顔をしかめた。 どういうことだ……って、それはオレが一番聞きたい。 「やっぱり……僕が階段で楽様に、僕がすめの奥方様になるって言ったの、聞いてたんでしょう?でもあれは、決意表明だよ?僕がすめの奥方様に決まったってことじゃない」 「え?」 決意、表明? 「すめは二十歳の誕生日まで、奥方様を誰にするか、一人に決めたらいけないのは、雨花ちゃんだって知ってるでしょう?なのに、僕で決まったとかあるわけない」 「でも!……大老様も、ふっきーで奥方様は決まりだろうって……。だからオレ……」 「違うよ!決まってなんか……そうだよね?すめ!」 ふっきーは必死な顔で皇にそう聞いた。 ふっきーの視線を追って皇のほうに顔を向けると、明らかに驚いた顔の皇と、バチッと視線が合った。 え……何でお前、オレのこと、見てるの? 今、お前に質問してるの……ふっきー……だよ?

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