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5日⑬

母様が出て行ってしまうと、少し離れた場所に置かれたベッドに、皇がゆっくり腰を下ろした。 何を話すでもなく、皇とただ視線を重ねた。 昏睡状態だったオレの隣で泣いていた小さい男の子は、皇の心の姿だって、おじい様が言ってた。 あれって、皇の中の、小さい皇ってことなのかなって……子供みたいな顔をした皇を見て、急にストンっと納得した。 オレが戻ってきたのは、おじい様のためでも、シロのためでもない。 目の前のこの皇が、そんな誤解をしてるなら、皇の中の小さい皇も、同じように思ってるかもしれない。 オレが戻って来た本当の理由を、オレの手を握って泣いていたあの小さい皇に、ちゃんと伝えたいって、ふっと思った。 オレをここに戻してくれたのは、おじい様でもシロでもなくて、キミなんだよって。だからもう泣かないでねって。 「皇」 「ん?」 「さっき、さ。シロがここまで連れ戻してくれたって話……したじゃん?」 「ああ」 「しらつき病院でさ、おじい様の話も、しただろ?」 「ん?ああ」 「おじい様、オレの体がどうなっているのか見せるために、三途の川に入ってくれたんだ」 「ああ」 「三途の川を潜るとね、こっちの世界と繋がってるみたいで……。昏睡状態だったオレがどうなっているのか、オレ、おじい様と一緒に見たんだ。天井から覗くみたいな感じで、自分が寝てるのが見えて、その隣で……」 「……ん?」 「寝てるオレの隣で、お前が……オレの手を握って……泣いてた」 「あ?」 「あ、お前がっていうか……お前の中の小さいお前?っていうのかな?三歳くらいのお前が、寝てるオレの手を握って、泣いてる姿が、見えて……」 皇はハッとしたように、少し目を開いた。 「だからオレ……」 「……」 「だから……戻って来た」 驚いた顔をした皇は、ベッドから立ち上がって、オレのすぐ隣に立った。 「余のためか?」 「え?」 「余のために、戻って参ったのか?」 うっ……。 改めてそう聞かれると……オレ、ものすごく恥ずかしいことを言っちゃった? だって!お前がおじい様のために戻ったのかとか、シロのために戻ったのかとか、おかしなことを言うから! お前がふっきーのことを選んだんだろうなって、オレ、思ってて……戻ったら絶対、傷付くだろうなって……思ってた。だから、帰れなくて……。 だけどそれでも……小さいお前が泣いてるの……放っておけなくて、戻って来たんだ。 オレは傷付いてもいいから、小さいお前のこと、泣かないでって、抱きしめたくて……すごい覚悟をして戻って来たのに……。 お前が全然見当違いなことを言うから、それは違うって、ただ、言いたくて……。 でも!うおおおお!確かに、めちゃくちゃ恥ずかしいことを言っちゃってるー! 「おっ!お前のため、っていうか……泣いてる、小さいお前に、泣かないでって、言いたく、て……」 どうあがいても、自分の言葉も気持ちも、誤魔化すのは、無理だ。 だったらもう、この際……。 「雨花……」 「あ!の、さ」 「ん?」 「頭……下げて?」 「ん?」 顔を近付けてきた皇の頭を、ふわりと撫でた。 もうこうなったら、したかったことをするまでだ。 「もう、泣かないで、いいからね」 目を丸くした皇の顔が、赤くなった気がした。 皇の頭を撫でるオレの手を掴んだ皇の顔が近付いて来て、キスされる?!と思った瞬間、オレの手が、皇の顔を思い切り押しのけていた。 「……どういう了見だ?この手は」 「だっ……お前こそ、何?」 「そなたこそ何故拒む?」 また近付いてきた皇の顔を、さらに押した。 「え?だっ……シロが……」 オレの頭の上で、シロが寝てるのに! っつか、シロっていうか!しろがねさんだし! 「あ?シロ?シロなぞ気にしおって!シロ!そのまま目を閉じておれ!」 シロはくるりとオレたちに背を向けた。 「ええええっ!」 シロ―!っていうか、しろがねさんっ!そこで背中を向けるってことは、やっぱりわかってるんじゃん!変に気を使わないで!余計恥ずかしい! 「そなた、このように余を拒むとは……余のために戻って参ったとは空言か?!」 「ちっ……いや、あ……お前のっていうか!お前の中の、小さいお前っていうか……に、その……」 皇は、ごにゃごにゃと言葉を濁したオレの両手首を掴んで『ほう』と、口端を上げた。 「余の中におるという小さき余が、そなたに触れたいと言うのなら、良いのか?」 「はぁ?!」 皇はニヤリと笑うと『余の中の小さき余が望んでおる』と言って、オレのおでこにキスをした。 「うっ……」 おでこに、とか……。 何か、口にキスされるより……恥ずっ。 全身熱を持ったみたいに、熱い。 皇はオレの頭を撫でると『口は痛むか?』と、聞いてきた。   「え……」 口?痛く、ない……けど……。 それって……それって……。 「ん?」 「わ、かんない」 そう言って目を伏せると『今の余の望みも叶えよ』と、皇はオレの唇にふわりと、キス……した。 「痛むか?」 無言で首を横に振ると、皇はもう一度、そっと触れるようなキスをして『早う良うなれ』と、また頭を撫でた。 皇の、大きい手。いつものあったかい体温。 ……戻って来て、良かった。 急に涙がこみあげてきて……皇の、袖を握った。

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