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だけ③
何も言わずに顎で待合室に入るよう皇に促され、待合室に入った。
もう待合室に、いちいさんたちの姿はなかった。
皇が部屋のドアを閉めると、外の歓声は全く聞こえなくなった。
「御台殿はご存知なのか?」
ふいに掛けられた言葉に顔を上げると、無表情でオレを見下ろしている皇と目が合った。
……怒ってる?
皇が怒っているのかもわからない。
怖くて、目を逸らした。
母様が知ってるかって……ひびのこと、だよね。
「母様は、知らない。でも、ひびだから……治療っていっても、固定しておくしか……」
「御台殿が知らぬなら、誰がそなたの診察をした?」
オレの言い訳は、明らかに苛立っている皇の質問に遮られた。
「診察っていうか……レントゲン、撮って、もらった、だけで」
「誰にだ?」
ここのいさんたちだって言ったら、ここのいさんたちが罰せられると思った。だって皇、絶対怒ってる。
返事をしないでいると、皇は『余には申せぬか』と言ったきり、黙ってしまった。
怖くて、オレも何も言えない。
ただ心臓のバクバクいう音ばかりが、頭に響いてくる。
また吐きそうだと思った時、皇が『雨花』と、感情の読めない声でオレを呼んだ。
「え?」
「余は……そなたが無理に舞う必要はないと言うたはず。だのに何故、ひびが入っていると知ってなお、舞の奉納をした?」
皇……怒ってる。
「……家臣さんたちに……認め、られたくて……」
「あ?」
「しっかり舞を奉納して……家臣さんたちに、ちゃんとした奥方候補だって、思われ、たくて……」
「何をせずとも、そなたは嫁候補だと言うたであろう」
「だって!」
「……だって、何だ?」
「だって……お前がそう言ったって!……オレが奉納するって決まった舞を舞わなかったら、オレは……また駄目候補って言われて……そしたらまたオレ、誰かを傷付ける」
舞おうと思った一番の理由は、これじゃない。だけど、これも嘘じゃない。
「何を……」
「塩紅くんが言ってたじゃん。オレが駄目候補って言われたら、展示会で候補に選ばれなかった人たちがみんな、オレ以下だって馬鹿にされてるのと同じだって」
「そなたは、無理に舞の奉納なぞせずとも誰一人傷付けることはない!」
そう言い切られて、急に腹が立った。
「塩紅くんは、オレが駄目候補だからみんなを傷付けてるって言ったじゃん!傷付けてるんだよ!でも……オレが頑張ってしっかりした候補になれば、誰も傷付けずに済むんだ!誰も傷付けずに済むなら、自分の痛みなんかどうでも……」
皇は『もう良い!』と、強い口調でオレの言葉を遮った。
「……」
「……まずは三の丸で、鎖骨の具合を診ていただくが良い。何もなければそのまま……曲輪を出る支度を致せ」
「……え?」
曲輪を、出る、支度?
「今、梓の一位を呼ぶ」
「なん、で?」
曲輪を出る支度をしろって……どういう、こと?
さあっと、血の気が引いていくのがわかった。
「一位にそなたの身支度をさせる」
「違う!何で……曲輪出ろって……」
皇はオレを見下ろして、小さく息を吐いた。
「どのような理由であれ、己の身を犠牲にすることを厭わぬ者を……余のそばに、置いてはおけぬ」
心臓の音が、どんどん速くなる。
曲輪を出ろって……。
そばには、おいておけない?
何、で?何で?
「オレ、犠牲、に、なんか……」
「そなたは鎖骨にひびを入れてなお、舞の奉納をすることを選んだ」
「鎖骨は!ただのひびで!」
「ただのひびだと?」
皇はオレをギッと睨み付けた。
「ただのひびで命を落とすことはないとでも申すか?!そなたはつい先日まで、階段から落ち、サクヤヒメ様のお膝元にいたのだぞ!今日はたまたま無事であったというだけだ!痛む肩を庇いながら、あの高さの舞台に上がることが、どれだけ危険か考えもしなかったのか!?」
「……」
「そなたのしたことが、どれだけそなたの身を危険にさらしたかわかったか!舞の奉納は、そなたがその身を犠牲にしてまでする必要はないとあれほど言うたに!そなたがそうして、そなた以外を優先するのであれば……余のそばにはおけぬ」
「だって!……舞の奉納が出来なきゃ、ちゃんとした候補って認めてもらえないじゃん!」
お前とずっと一緒にいるためには、家臣さんたちに認められるような、ちゃんとした候補じゃなくちゃ駄目なんだ!
「その身を守るより、候補という肩書きを守ることのほうが大事だと申すか?!」
睨みつけてきた皇を、オレも睨み返した。
「肩書き守って……何が悪いんだよ」
「あ?」
「肩書き守って何が悪いんだよ!オレにとって、お前の嫁候補って肩書きが、どれだけ大事か知らないくせに!」
オレがお前と一緒にいるために、どれだけ必死か、お前は何にも知らないくせに!
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