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だけ⑩
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『若様がいらっしゃる前に湯浴みなさいますか?』と、いちいさんに声を掛けられてダイニングを出ると、すでに日が傾き始めていた。
側仕えさんたちとそんなに話し込んでた?びっくり!
部屋で急いでお風呂に入る準備をしていると『若様がもうお着きになるそうです』と、いちいさんがドアをノックした。
え?早くない?
家臣さんたちと一緒に夕飯を食べるだろうから、もっと夜遅くに来ると思ってた。
どうしよう?もうお風呂に入っている時間はないよね?と、おたおたしていると、急にドアが開いて、さっきここまで送ってくれた時と同じ着物姿の皇が顔を出した。
「えー!?早いよ!家臣団さんたちと一緒に夕飯も食べるんじゃなかったの?いいの?」
そう言うと『ん?ああ』と、言った皇は、ふっと口端を上げた。
「主催者が良いとおっしゃるのだ。良いのであろう」
「え?」
しゅさいしゃ?と、聞く間もなく、皇の後ろから母様がひょっこり顔を出した。
うお!祭りの主催者ー!
「体調、どう?」
母様に、いたずらそうな顔でそう聞かれて、反射的に『ごめんなさい!』と、その場で跳ねるように膝をついて土下座した。
だって、鎖骨が痛むことを母様に黙っていたのは、皇に黙っていたことよりも、数倍バツが悪い。
「ああ!肩にひびくから!」
母様は急いで、そっとオレを立たせると、ソファに座るように促してくれた。
母様はひびのことを黙っていたとしても、ちゃんと話せばわかってくれる……とか、都合良く考えてはいたけど、こうしてオレのことを気遣ってくれるってことは、母様はやっぱり怒ってない……と思うと、心底ホッとした。
母様に嘘を吐いているようで、ずっと不安だったんだ。
「ひびのこと、黙っててごめんなさい。どうしても舞いたくて……」
オレはもう一度母様に頭を下げた。
「全部、千代から聞いたよ。私が青葉でも、同じことをしただろうし……今回は許す」
母様はにっこり笑って、オレの頭をポンッと撫でた。
「最初、青葉にひびが入っているって聞いた時は、ショックでさ」
「えっ?!あ、ごめんなさい!」
オレが黙ってたこと、ショック、だったんだ。そうだよね。
「いやいや、青葉が黙ってたことじゃなくて、ひびを見つけられなかった自分にショックを受けたんだよ」
「え?」
「でもね、千代の話を聞いたら、青葉のひびは見逃すべくして見逃したんだろうって思ってね」
「え?」
母様は、ふふっと嬉しそうに笑った。
「私がひびを見つけられなかったから、青葉は舞いの奉納をした。で、今の二人になってるってことでしょう?」
母様は、隣に立つ皇の肩をパンパン叩いた。
今の二人になってる?って、何?
皇を見ると、オレからふっと視線を外して『御台殿に隠し事は出来ぬ』と、気まずそうな顔で空を仰いだ。
あ!皇、母様に嫁のことも全部話したって、こと?
「両片思いっていうの?気持ちがすれ違う二人を見るたび、私から青葉に、千代の気持ちを言ってしまおうかと何度思ったかしれないよ。だけど大老からは、青葉を守りたいなら黙ってろって釘を刺されるし、占者様からも、私が口を出したら駄目だって言われるし。何とか黙ってここまで見守れた自分を、大いに褒めたいね」
母様はそこで一度、大きく深呼吸した。
「千代は、誰を嫁にするか二十歳まで黙っていなければならない一門の決まりを破った。何か言うやつもいるだろう。だけどね……千代が今日、青葉に気持ちを打ち明けた理由を聞いて、私は親として嬉しく思ったよ」
皇は、気持ちを打ち明けなければ、オレを失うかもしれないから打ち明けたって……言ってた。
それが母様にとっては、嬉しかったって、こと、なのかな?
母様は本当に嬉しそうな顔で、オレに笑いかけてくれた。
母様……。
母様は、オレが皇の嫁になってもいいのかな?という不安が、ふっと頭をよぎった。
「あの……」
「ん?」
「あの、オレ……鎧鏡家のこと、何にも知らないで育って、未だにわかってないこともたくさんあると思うんです。そんなオレが、その……皇の嫁、とか……なってもいいのかなって……」
「もう!青葉!」
母様は『青葉じゃなきゃ駄目なんだってば!』と、オレをぎゅうっと抱きしめた。
「千代だって、青葉が育ってきた世界のことを知らずに育ってきたし、未だにわかってないことだらけだよ!青葉と同じ。それでも千代でいい?いや!それじゃ無理とか言われたって、もう離さないけどね!」
「母様……」
ぎゅっと母様に抱き着くと、コホンっと皇が、わざとらしい咳をした。
「何?」
母様があきれたような顔で皇のほうを振り返ると、皇は『そろそろ本丸に戻ったほうが良いのでは?』と、母様に無表情にそう言った。
「はいはい。邪魔者は早く去ねってことだろ?」
母様は鼻で笑いながら『帰りますよ』と、オレをもう一度抱きしめた。
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