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だけ⑫
皇が『嫁の件はこれ以上の口外はせぬつもりだ』と言うと、急にキリリとした顔つきになったいちいさんは『私もそれが良いかと存じます』と、大きく頷いた。
雨花様は腕っぷしが強くないので、御台様の時のようなことは極力避けたほうが、雨花様の身の安全を守れるかと存じます……なんて、いちいさんが皇と話しているのを、オレは皇の隣でただ聞いていた。
いちいさんも、母様が候補の時、狙われたのを知ってたんだ……なんて思ったけど、二人に口を挟めなかった。
部屋の前まで着くと、いちいさんが『雨花様の件、あとはこの一位にお任せください』と、皇の前で片膝をついて頭を下げた。
「任せた」
「ありがとうございます」
いちいさんと皇が、オレのことについてそんなやり取りをしているのを、オレはどこか他人事みたいに聞いていたんだ。
だって……何かまだふわふわしてて、実感がわかない。次の瞬間には目が覚めてしまうんじゃないかって、怖くなる。
夢であって欲しくはないけど。
オレは、いちいさんや側仕えさんたち、オレの担当をしてくれている家臣さんたちみんなに、今まで散々、肩身の狭い思いをさせてきたって、自覚がある。
なのに、駄目候補って言われてきたオレのことを、梓の丸のみんなは、ずっと守ってくれて、大事にしてくれた。こんなオレに、ずっとついていくって、言ってくれた。
頭を上げたいちいさんの顔は、すごく、嬉しそうだ。
オレが皇の”嫁”になれるってことは、ただオレが嬉しいだけじゃなくて、みんなへの恩返し……みたいなことになったり、するのかな?
そうだとしたら、すごく、嬉しい。
いちいさんに、こんな嬉しそうな顔をさせてあげられたのがオレなんだとしたら……すごく、すごく嬉しい。
「どうかしたか?」
ぼうっとしているオレの顔を、皇が覗き込んだ。
「あ、ううん」
「若様も雨花様もお疲れでいらっしゃいますでしょう。夕餉の準備が出来るまで、ごゆるりとなさってくださいませ」
いちいさんが頭を下げて、部屋のドアに手をかけた。
「あ!いちいさん!」
「はい」
「あの……ありがとうございます!オレ……」
感謝の気持ちが爆発して、いきなり『ありがとうございます』なんて言っちゃったけど、いちいさんたちには、それだけじゃ全然足りなくて、逆に言葉に詰まってしまった。
いちいさんは、また目にいっぱい涙をためて『私こそありがとうございます』と、もう一度頭を下げたまま部屋を出て行った。
いちいさん……本当に、ありがとうございます。
部屋に二人きりになると、すぐに皇はオレの手を取った。
『肩は痛まぬか?』と、聞くので『大丈夫』と返事をすると、『横になるか?疲れたであろう』と、皇にベッドに連れ込まれた。
皇と手を繋いだまま横になると、さっきの母様の言葉を思い出した。
皇に『母様が言ってた、これからのことを話し合えって何のこと?』と聞くと、皇は『この先、どうしていくかということだ』と、返事になっていないことを言うので、『え?』と聞き返すと、『今日はとにかく、体を休ませよ。この先のことは、これから二人でゆるりと考えていけば良い。もう互いに、一人ではないのだ』と、オレの手をギュッと握った。
互いに、一人じゃない……。
今までオレは、ただお前を待っているだけしか出来なかった。そういう立場だったし。でももう、待ってるだけじゃなくていいってこと、だよね?
この先、お前が万が一つらい場所に向かわないといけないって時も、オレはお前の隣にいても、いいんだよね?
お前が背負ってるものを、オレも一緒に、背負っていいって、ことだよね?
皇に『うん』と、小さく返事をして、目を瞑った。
皇がいる空間はいつも、ドキドキと安心が混在してる。
『夕餉まで少し眠ると良い』と言った声が、少しかすれて聞こえたので、そっと皇のほうに視線を向けると、皇は口端を上げて目を瞑っていた。
機嫌の良さそうな皇を見ていたら、オレも何だか無性に嬉しくなって、『うん』と返事をして、もう一度目を瞑った。
でも……今日あったこと、今までのことを思い出すと、到底うたた寝なんて出来そうにない。
隣の皇をまたチラリと見ると、未だに口端を上げていた。
「皇、ニヤニヤしてる」
「あ?しておらぬ」
「してるよ」
「余ばかり見ておらぬで、少し休め」
「だって眠れないんだもん」
しばらくそんなやり取りをしていると、ふたみさんに『もうすぐ夕餉の準備が出来ますがどうなさいますか』と、声を掛けられた。
『和室に運べ』と、ふたみさんに声を掛けた皇が『夕餉のあとはしっかり寝ろ』と、睨んできた。
「ん」
そんな風に睨んだって、お前が怒ってないの、わかってるんだから。
皇は睨みながら、オレの肩に羽織を掛けた。
ほらね。
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