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正しい”お付き合い”のすゝめ⑲
「詠が帰ったことで、気付けたことがある」
「ふぅん。何?」
『ん?』と、もったいぶったように笑った皇は『余は物心ついた頃から、何かが足りぬといつも思うておった』と、ジッとオレを見た。
「足りない?」
鎧鏡家の次期当主として育ってきた皇に、足りないもの?
「ああ。だが……あの修学旅行で余は、満ちていることに気が付いた」
「はぁ」
満ちている?
「何故満ちたのか理由を考えた。それまでの余との違いは何なのかとな」
オレが『何だったの?』と聞くと、皇は鼻で笑った。
「そなたが片時も離れず、そばにいたことだ」
「え?」
確かにオレ、ずっと一緒にいたけど……。
でも、何か特別なことをした覚えはない。
皇にそう言うと『そなたに何かされたがゆえに、満ちたわけではない』と、ふっと笑った。
皇が何を言ってるのか全然わからない。足りないとか、満ちたとか。
オレは多少イラッとしながら『どういうこと?』と、皇を睨んだ。
「人はもともと半身で生まれ、絶えず失われた片割れを探していると、聞いたことはないか?」
「あー……うん。そんな話、あるよね」
「余がいつも足りぬと思うておったのは、それだろうと気付いた」
「え?」
「余はいつも、余の片割れを探しておったのだ」
「……」
それって……。
「そなたが、余の片割れだ」
そう言われた瞬間、どわーっと涙があふれた。何かわかんないけど……急に涙があふれてきて……。
皇はオレの涙を拭きながら、また大老様の話を始めた。
大老様は、皇が生まれる前の胎教の時点から、皇の"若様教育"に参加していたという。皇にとっては、3人目の親みたいっていうか、会うと親より背筋が伸びる人なんだそうだ。
本来なら大老職が、若様の教育係なんてことはしないのだそうだけど、お館様の昼行灯事件の二の舞にならないよう、皇を当主らしい当主に育てなければならないからと、大老様自ら、皇の教育係を申し出たという。
皇は小さい頃から『奥方様を迎えるその瞬間まで、何があるかわかりません。誰を嫁に迎えてもいいという心持ちでいなければなりません』と、大老様たちに言われて育ってきたそうだ。
サクヤヒメ様からの加護がない候補は、一門の内外問わず狙われやすい。誰か一人を嫁にと強く心に決めてしまったあと、その候補に万が一のことがあって、他の候補の誰も娶れないなんてことになったら、鎧鏡家は潰れてしまう。御霊戻しの儀式が出来る嫁がいなければ、当主とは認められないから……。
そんなことにならないために、誰か一人に強く心を奪われることがないようにと、大老様たちは皇にずっとそう言い続けてきたんだそうだ。
皇もあの修学旅行前までは、そうあらねばならないと思ってきたと、顔をしかめた。
「占者殿が選出した者とは、誰を娶ろうが上手くいくゆえ、二十歳の誕生日までは、誰か一人に強く気持ちを傾けてはならぬと言われ続けて参った。余は、それに疑いを持ったこともなかったのだ。……そなたを知るまでは」
「え……」
「そなたを知ったあの日から……ならぬことと自制しても、心がそなたに傾くのを……どうしても止めることが出来なかった」
それでも修学旅行前までは、大老様の言うように、誰を娶ることになってもいいようにしなければならないと、皇は必死にそう思おうとしていたという。
でもあの修学旅行で、オレが片割れだと思った皇は、オレ以外を娶ることは出来ないと、帰国早々、大老様に、次の展示会は中止にしたいと直訴したんだそうだ。
それを聞いた大老様は『奥方様候補を多く持つことが、家臣の安心に繋がっているのです。家臣の安心を思うなら、次の展示会で最低二人は候補を指名してください』と、皇を説得したという。
皇が多数の奥方候補を抱えることは、皇が家臣さんたちに与えられる、わかりやすい”安心”なのだという。候補がたくさんいればいるほど、嫁を娶らなければ当主を継げない決まりを、確実に守れることのアピールになるからだ。
皇は渋々、展示会を開催はしたけれど、どうしても候補が選べずにいたそうで、大老様にそう伝えると『占者様が選んだ者たちなのですから、誰を選んでもうまくいきます。決めかねるのでしたら、両端に座っているお二人でもいいのですから』と言ったそうだ。
皇は大老様のその言葉通り、一番最初と、一番最後に座っていた、天戸井と塩紅くんの二人を指名したそうで……。
この前の展示会であの二人を選んだ理由が、それ、だったなんて……。
『二人には申し訳なく思うておる。それ相応のことをするつもりでおる』と、皇は明らかにシュンとした。
『うん』と皇の手を握ると、皇もオレの手を握り返して『大老には……長い間、心配をかけて参った』と、ため息をついた。
大老様は、皇が筆下しの儀からずっと、誰にも反応しないのを知っていて、何とか皇が夜伽が出来ないものかと、色んな策を講じてきたという。
皇が不能だなんてことが家臣さんたちにわかれば、候補がどれだけいようが、嫁を娶れないんじゃないかなんて不安を、家臣さんたちに与えてしまうかもしれないからだ。
とにかく誰とでもいいから、皇が一度でも夜伽を済ませられれば、それが自信になって、不能は治るだろうと大老様は考えていたらしく、皇の寝室にそのための人材を何人も送り込んでいたという。
でも大老様があてがった誰にも、皇は全く反応しなかったそうだ。
そんな皇が、初めて自分から求めたのが、オレ、だったわけで……。
大老様は、皇がオレと初めての夜伽を済ませたことを知った時、ものすごく喜んでくれたらしい。
だけど……皇は、大老様が思っていたように、誰でも大丈夫になったわけではなく、オレにしか反応しないという、ある意味、大老様からしたら、もっと深刻な事態に陥ったわけで……。
オレにしか反応しないなんて、もう完全に、嫁はオレで決まりだと、言っているようなものだ。そんなことがみんなにわかったら、母様同様、オレが狙われかねないから。しかもオレは、母様みたいに強くなかったっていう……。
それで大老様はオレを守るために、オレは駄目候補だって噂を流したり、ふっきーをわかりやすく推すことにしたらしい。
そうやって守ったとしても、オレが皇との結婚を拒絶することもあるかもしれないと、大老様はそんな心配もしていたらしい。
だから天戸井と塩紅くんが新たな嫁候補に選ばれた時、あの二人が、皇をどうにかその気にさせてくれないものかと、二人に期待していたようだと皇が苦笑した。
大老様は皇に、オレ以外の二人とも夜伽が出来ないかと、何度となく言っていたそうだ。
「次期当主として、候補との夜伽は義務だと言われても、そなた以外に触れることが、どうしても出来なかった。それがどれだけ、大老を落胆させることになるか、わかっておっても……」
皇……。
オレをもう一度強く抱きしめた皇の腕の中で、オレはまた、ひとしきり泣いた。
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