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Ctrl+V V V【後編】

   *   *   *  すっかり椅子は取り払われ、上体を卓に擦り付けるようにして尻を突き出していた。ニトリル手袋の嵌められた手指が乱暴な動きで直腸を掻き回す。頬を卓に押し付けているせいで、目の前でうねうねとくねる煙がいやでも目に入ってしまう。一度顔を反対側に向けようとしたが、上から頭を押さえつけられたので叶わなかった。従順でいることにした。 「手袋、取ってほしいですか?」 「えぁっ、ええ、ろって、取ってほしいれす……」  呂律が回らず、よだれを垂らしながら頷くも声での反応はなく、悪戯に会陰を親指で撫でられるだけだった。器用なことだ。  つるつるした漆に縋っていた腕を後ろに回して、催促のつもりでゆらゆらと躍らせる。はたき落とされた。 「あとでね」  踊る手になにを解釈したのか知る由もないが、そう言われれば頷くしかできない。それくらいの動作しか、栗花落には許されていないのだ。 「あ、あっ、それ……!」  濃密な軟膏で後孔を解されながら膀胱のあたりを腹の上から押され、身体が跳ねた。慌てて振り向くも医師は嗤うだけだ。 「ぃやだ、それは……っ、それ、やっ……!」  困るのはあなたのほうだ。不明瞭にそう訴えるも、医師には響かなかったようだ。さらに強い力を込めて抉るように膀胱を押し込まれる。 「うぅあッ、ぁ、って、まってまって!」 「漏らしたら怒るよ」 「うぅ……」  涙が溢れた。ひどすぎる。一度尿意を意識してしまうと、そこから思考が剥がれないことを誰よりも知っているくせに。ひどい。 「もう挿れちゃお」  明らかに性急がすぎる。けれど、新たに炊かれた四つめの香から煙が立ち上ると、はやくはやくと胎内が波打った。 「身体、ちからが入らないでしょ。ほらもっと見て。いい香りだねえ」  ぼやぁと視界が眩む。わからない。そう言われれば、たしかに膝からがくんと力が抜けた。 「おっ、と」  崩れ落ちそうになる身体を、医師が抱き止めてくれた。やさしい……。こんなにもぐにゃんぐにゃんの、弛緩しきった芋虫みたいな己を抱きしめて……。おかしい、この思考は二度目だ。やさしくなんてない。いや、やさしいのか? やさしく、熱くてまるっとしたものが、尻に……。 「挿れちゃうね。ほら、しゃんとして」  めちゃくちゃだ。弛緩を誘導したり、ちゃんと立てと卓に引き戻されたり。ぼーっとする。カトレアが香っているのか。ファンタジックな白の王妃が、繭のようなピンク色のパフュームを透明な爪でなぞっている空想を脳裏に浮かべた。そんなにおいだ。新しいパラレルワールドでは、栗花落は凋落する女王になっていた。脱力する身体の沈む流れに逆らうように、尻のあいだをそれなりに苦しい物量が押し入ってきたのは、王城の一室を妄想していたその瞬間のことだった。王妃が悲鳴を上げる。その手からパフュームが転がり落ちる。香水瓶が音を立てて割れ散る。  悲鳴は栗花落のだらしなく開いたくちびるからも漏れ出た。声を飲み込ませるようにして熱いてのひらで口を抑えられ、喉がのけ反った。首が裂けて千切れ落ちそうだった。 「……っ、ぐる、し……」  セコンドに助けを求めるボクサーの気分で卓を叩きながら振り仰ぐと、余計に頸が締まった。今日、この場で栗花落のこころを癒やし、導かんとするセコンドになるはずだった花崎はいま、額に浮いた汗を乱雑に拭いながら、意識をはっきりと取り戻した栗花落の身体を愚直に突き進んでいる。角度を調節しながら、わざと膀胱を抉るように腰を入れられ、餌をねだる犬みたいな高い声が鳴った。酸欠による頭痛に朦朧としながらも妙な理性が働いて、口元を濡らす唾液をだらしない袖で拭った。今更ながら卓を汚してはならないと思ってしまったのだ。ここにも。すでに卓を汚していた汗と唾も袖で拭くと、余裕だねとうなじを指で散歩された。伸びた襟足を掻き分け、ぬめった舌で舐め上げられる。へんなこえがでた。ぞわぞわする。耳の産毛が総毛立つ感覚。うなじが溶けたかとおもった。 「はは、おもしろい。ほら、こっち見て」  頸を圧迫していた指がゆるゆると外され、唇のあわいをやさしく撫でる。 「ぁ……」  ひどく抑圧されたあとに、この羽毛じみた軽やかなやさしさを与えられると、弱い。蕩けてしまう。うっとりとした瞳で医師を見上げると目があった。にこりと花の笑顔。へら、と笑顔に似た締まりのない表情を返すと、笑んだままやさしい指は突如、栗花落の喉奥めがけて突き進んできた。瞠目。たまらず指を吐き出すと、一瞬で湧いた涎を纏ったそれをひらひらと振って花崎は得心しているようだった。 「こういうの、きらい?」  すき。 「びっ、っくりするじゃないですか……。う、ゲホッ」  咳き込むと、もう一度『きらいですか?』と問われる。 「す……きではない、ですけど」 「ふうん?」  涙の張った目を擦ると、手首を取られた。 「え、なに……」  理解が追いつかず狼狽していると、胎内に埋め込まれたままのそれがずるずると存在を主張するように抜け出ていった。 「~~~、ぅあっ」  眉根がぎゅっと寄る。交尾らしい前後運動もなく喪失したものだから、異常な物足りなさが下腹部でぐるぐると鈍足で旋回している。 「栗花落くんさぁ。前立腺よりも、咽喉をいじめられるほうが好きになっちゃったの?」 「へっ……?」  なぜわかった。 「すきなんでしょ。口のなかをいじくられるの。それって、やっぱり巽くんの影響なの? こういうこと、いつも二人きりでしているの?」 「いつも……じゃな、」  否定する箇所を間違えた。いつもではないのなら、時折はしているということだ。なぜか後ろめたくなった。罪を問われている。やはり唯一神を穢してしまった罪人なのだ、おのれは。 「なんだか想像がつかないなあ。ちょっとやってみせてよ」  気楽に飛び出てきたことばに再度瞠目した。やってみせて、とは。どう、やってみせるのだ。やってみせられるものなのか。  なにを求められているか分からず、きょどきょどと瞳を泳がせていると、助け舟のつもりなのか手を引かれた。従う。 「よいしょっと」  花崎は何事もなかったかのように、高級そうなオフィスチェアにどっかりと腰を下ろして、まだ比較的に硬度のある陰茎から透明なゴムを外して屑籠に放ってしまった。呆けたように、セーフティアイテムから汚物に成り果ててしまったコンドームが描く放物線を瞳で追った。たっぷり五秒ほど無言で屑籠を見つめ、医師に胡乱な視線を戻す。うん、と頷かれた。勝手になにを承諾した? 「喉奥、突いてあげるよ」  おいで、と手招きをされたら従うしかあるまい。四つん這いになって医師の股座に収まった。すこしばかり屈めば、唇は医師の陰茎に口付けを落とせる。そんな位置だった。尿道口がなまなましい。かおりが。カトレアの香りでもなければ、ヒヤシンスでもない。南国の森深くの鬱蒼とした日陰でまるまると育ったフルーツめいた、そんななまなましい、なまあたたかいにおい。陰茎のかおり。 「いいよ」  おあずけを解除された犬。取り憑かれたように息を荒げ、舌を伸ばした。犬。けだもの。 「んっ、ゥん、ん……」  恭しく伸ばした舌が、生身の急所にぴったりと密着する。荒い鼻息が敏感な肉をくすぐったのか、医師は小さく右の足首を後退させた。 「へんな子。快楽を一方的に施されるより、奉仕をしたいなんて。そんなに咽喉がすきなの?」  口の中にひろがる他人の肉の味に、脳は勝手に官能医師の親指の味を思い出していた。ニトリルに包まれた手指ではなく、肉本来の味。指紋がざりざりと舌の上でこすれて、ささくれひとつない美しい指が奥歯の表面を撫でる。 「ン、ん、ぅん……」  上顎を擦り上げ、頬の内側を抉るのはおぞましい陰茎なのに、彫刻めいた指を想像して懸命に奉仕を続ける。たしか官能巽はこうして、唾液が垂れるのも厭わずに内頬のこの、もう塞がってしまった裂傷を指のはらで引っ掻いていた。もご、と頬が変形する。涎が垂れた。恍惚の涙が瞳のきわに珠を結ぶ。 「熱心だねえ」  感心したように頭を撫でられ、押さえつけられる。陰茎のおおきな切っ先が口蓋垂を嬲る。 「んェ゛ェ゛ッ、ォ、……ッ」  えずくと、咽喉の震えが心地良いのか医師は息を震わせた。眉根が寄り、頭を押さえつける指に力が込められた。髪を引っ掴まれ、角度を求められる。頸を上げる。 「ここまで挿れてみたいな。いいよね」  ここ、というのがどこを指しているのか、栗花落にはすぐに理解できた。遅い変声期にいじけていた喉仏のところ。そこまで挿れたいと宣っているのだ。イラマチオも当然何十回とやってきたけれど、そこまで深く挿れるのははじめてかもしれない。衝動で噛み切ってしまうのではという危惧が胸底で煙る。 「んんっ、ぅい、ういっ」  無理、という単語を母音だけで発する。肯定と捉えられたかもしれない。医師の呼吸が忙しなく乱れる。 「なら、もっと口を開けなさいよ」  やはり。肯定の返事と間違えられている。これは。死ぬかもしれない。  慌てて口を離そうとするが、後頭部を掴まえられてはもうどうしようもなかった。医師はそのまま立ち上がり、わずかに舌先を覗かせて下唇を舐める。瞳が爛々と輝いている。医師も多少の不安はあるのか、ぴたぴたと口蓋垂に鈴口を押し付けるだけで侵入する気配はない。怖れをなしての接触ですら、こちとら強烈な吐き気を促進されるというのに。 「もっと顎、上げて」  猫をかわいがる仕草で顎下を撫でられ、上を向かされる。もとより身長のある医師の陰茎に縋り付くには、背筋を伸ばす必要がある。必然的に顔は上向くし、膝立ちにならざるを得ない。花崎が上体を屈める。切っ先と栗花落の食道とが、直線を結ぶ。 「噛んだら、巽くんを殺すから」  目を見開く。いま、なんと言った。    そこからは案の定、地獄一辺倒だった。  栗花落が従順に歯を立てまいと必死になっているのを良いことに、医師は素知らぬ顔で震える喉仏を指で押してきた。胃液は逆流して出口を失い、元より荒れ気味の食道でずっと上下していた。幼少期の栗花落を苦しめた、修学旅行の夜に起きた喘息を思い起こした。唾液と痰が食道中を移動し続けて呼吸すらできない、大叫喚の苦悶が暫く続いた。断末魔めいた呻きとえずきは、すべて不明瞭な水音に変わった。排水溝が詰まったときに似た音が延々と己の咽喉から鳴り続ける感覚は、酸欠でぼうっと白む意識の中でもひときわ鋭敏で、こんな音を聞いて花崎医師は萎えないのだろうかと余計な心配すらしてしまうほどだった。 「ン゛ォ、ゴ、……」  鼻水が垂れる。鼻呼吸すらままならない。きっと顔面はひどく鬱血している。圧力に目玉が飛び出してしまいそうだ。あたまがいたい。激痛だ。両手で医師の腰にしがみついてなんとか死を耐えた。 「すっご……」  汗を浮かべた医師が、オナホールを扱う乱雑な手つきで栗花落の頭を掴んでいた。 「痛そう」  妙な感想を述べ、また喉仏を押される。痛いに決まっている。いまはもう、感覚すらすこし麻痺してきた。胃の内視鏡検査を受けたことはないのだけれど、それもこんな感覚なのだろうか。 「麻酔スプレーでも用意しておけばよかったかな。……っ、でも、それじゃつまんないもんね」  がぼがぼ、そんな音で返答する。肯定か否定か、自分でもわからない。 「ふふ、栗花落くんって、おもしろいね。本当はあの香に、からだを弛緩させるような成分なんて入ってないんだよ。そんなもの、あるわけないじゃない」  医師は上を向いてあぁ、と悦楽の息を漏らす。耳を塞がれていて、頭の中はぐぼぐぼとした排水溝の音でいっぱいになって、なにもわからない。聴こえない。 「君が求めたんだ。僕にからだをあずけたがっていた。家に、入った瞬間から。……はぁ、もっと前かな。相談事があるって言ってくれ、た、時からかな」  ぐぐ、と陰茎がひときわ跳ねた。のどが、……やぶれそう。 「いいなりの“ふり”をしてくれたご褒美ね」  耳をハンドルのように引っ張られ、さらに口を大きく開けさせられた。ずっと、鼻は医師の下生えに密着していた。あせの、かおり。くらくらする。ほんとうに、もう、いしきが……。  喉奥で熱が破裂した。水風船が鋭利な針で突かれ、一気に破けるイメージ。これもまたパラレルワールドのひとつ。灼熱のタールが食道を駆けた。ぐるぐると気管で泡立っていた胃液やら唾液やらとそれが合わさり、食道をぐっと押し広げる。  がぽっ、と陰茎が引き抜かれ、勢いよく嘔吐した。若草の草原に白く泡立った吐瀉物が広がる。二、三度に分けて嘔吐し、絶望する栗花落に医師は濡れた前髪を掻き上げ、 「あぁ、疲れた。ねえ、お昼ごはん、食べて帰るでしょ」  と、瞳を細めてカタストロフを齎した。

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