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悪食のイシュタム【後編】

   機械的な動作を繰り返していくうちに疲れてきた。結局、用意された粥の半分も食べられなかったが、嚥下する度に裂けたのかと疑うほどの激痛を堪えながらの食事というのはもはや拷問に等しかった。堪え性のない栗花落からしてみれば、かなりがんばった方だ。  もういらない、と鮫島の手を制す。 「だめだよ。まだ全然食べられてないじゃん」 「……ぁない」  いらない、と不明瞭な声で訴えるが、鮫島の手は止まらなかった。首を振って硬く唇を引き結ぶと、眉が不機嫌に顰められた。なぜ。親鳥のくせに一方的な愛情を押し付けるつもりか。枝分かれした遺伝子に愛を強制するのか。受け容れろと抑圧するのか。  顔を包むようにカットされた横髪に刷り込まれた、オーガニックオイルのかおり。シアバターのケア成分。さらりと揺れるそれが天幕となって降ってくる。仕方なく口を開ける。 「……っ!」  量が、多い。そして、舌を焼くほどに熱い。仕置き。否定の意思を見せたことに対する子どもじみた無言の非難。 「っ、げほ、……あ、づい、って」  熱の衝撃で一息に飲んでしまったので、これまでとは比べものにならないほどに強烈な激痛が走った。一瞬、明滅する光すら瞼に散った。痛みに息を荒げると、鮫島はひとまず折檻の効果に納得したのか、また柔和な花の笑みを見せた。大輪の向日葵だ。きらきらしている。 「べー、ってしてみて」  火傷していないか見せろというわけか。ひりつく舌を見てみるがいい、おのれの施した所業のカルマを感じてみろ。そういった念を込めて舌を出すと、慈愛に満ち満ちた聖母の笑みとともに、かぱりと奴のうつくしい口が開いた。高い体温と呼応して、口腔は平均よりもずっと赤い。おまえも発熱しているんじゃないかと心配するこころを他所に、鮫島の笑みはコケティッシュに堕落した。ぎくりとする。粥すら含まないただの口付けが降ってくる。性感を直接刺激する、舌と舌での交尾。言われるがままに露出させていた舌をぺろんと舐め上げられたかと思えば、陰茎を口腔で愛するときのように、吸い上げ舐めしゃぶられる。 「ぅ、く……っ」  喉が痛いと再三に亘って告げていたのにこの仕打ちだ。ひとかけらの栄養もない、ただの唾液を飲み下す。粥の名残りであるわずかな塩味が引き伸ばされ、なまぬるい初夏の波打ち際を連想した。潮風をくちに含まされている気分だ。 「潤くんって、怠惰にすべてを受け容れるくせに、跳ねっ返りが過ぎるんだよ。ほんと、かわいい」 「どう……」  どういうことだ。 「明らかに俺のことを見下しているかんじ、すき。いつだって官能先生や航さんと較べて落胆してる。最初はそれにすんっごく苛ついててさ、あーどうしよう殺してやろうかなって思っていたけど、今はそれすら愛おしいよ」 「……そ、」 「だって、俺にだけ向けてくれる感情でしょ。落胆や蔑視ってさ。官能先生や航さんにはぜったいに抱かない感情でしょ。そう考えたら、なんだかうれしくなってきちゃって」 「…………、」  否定は許されない。すっかり親鳥の義務を放棄した鮫島は、レンゲを放り出して栗花落の生白い首に手指を滑らせる。喉仏の隆起を、角度を、傾斜を具に確認する。頚椎の数を、見えもしないくせに肉の上から指先で数える。 「俺がいまここで潤くんの首を絞めたらさ、抵抗する?」 「……!」  慌てて頷く。死にたい気分は時折やってくるが、いまじゃない。そして、おまえじゃない。 「えへへ、必死な顔して、かわいい」  無邪気に笑うくせに、喉仏の上の指は一向に退いてくれない。 「首が絞まるとさ、ひくぅい音が鳴るんだよ。深夜の冷蔵庫とかさ、ブーンって鳴るでしょ。あれに似た音。ぎゅん、ぎゅん、……って、血流に合わせて低い音が鳴るんだ」  なぜ、知っている。 「潤くんと心中する練習、たくさんしたから、俺、知ってるんだ」  向日葵が笑う。月光すら散らない、真の闇に咲く地獄の向日葵だ。  そういえば、太陽が沈んだあとの夜のなかでは、向日葵はいったいどこを向いているのだろう。 「いつでもいいよ。いつでも一緒にいてあげるからさ。……いまはたくさん栄養を摂って、きちんと生きようね」  ぱっと離れる手。知らず知らずのうちに止めていた呼吸を慌てて再開させる。ぜえぜえと肩で息をして、向日葵たる彼のほうを向く。太陽。道標。闇のなかでの唯一の光源は、……もしかしたら、彼なのだろうか? (……おれは、鮫島くんとはちがって向日葵じゃないから。どこも向かない)  マリアの笑みに惑わされておのれが向日葵と同化する錯覚を憶えたが、なんとか崖端で踏みとどまることができた。  栗花落は光を受け、愚直に追いかける向日葵ではない。その根の下を彷徨く微生物だ。もしくは土に含まれる成分の、硫黄、カルシウム、カリウム。それら普遍的にありふれた元素。愚かしくて輝かしい、大衆に愛されるひたむきな向日葵などではありえない。  ゆるやかに首を振ると、わずかに口元を歪めて鮫島は首を傾けた。その歪みは、苛立ちにも笑みにも見えたけれど、白磁の肌にまつ毛の翳を落とす鮫島はやはり聖母ではなく、ファム・ファタールとしての側面を黴臭く湿った部屋に滲ませていた。

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