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♯4 練習曲〝憧憬〟12

「そんな会社、辞めればいいじゃないか、桜也」  桜也は空になったジョッキをテーブルに叩きつけた。寝不足とお酒のせいで充血した目で真雪を見やる。 「…今だって仕事が多すぎていっぱいいっぱいなんだ。おれが辞めたら、残った人たちがもっと大変になる。辞めるわけにはいかないよ」  ろくに食事もせず、千円札をいくつかテーブルに置くと、桜也は立ち上がった。 「明日提出しなきゃいけない提案書、まだ終わってないんだ。せっかく誘ってくれたのにごめん。 また時間作るから、またな、真雪」  すりきれた背広を着て、おぼつかない足どりで会社に戻る。そんな桜也の背中を見て、真雪は胸が苦しくなった。  桜也は優しすぎる。  そんな会社、すぐに辞めるべきなのに。  会社に残る人に配慮している場合じゃないのに。  この世は、利己的な人間が得をして、優しい人間が損をするようにできている。  桜也はずっとサッカー部で活躍していたから、体力に自信がある。だからこそ、限界まで自分を追い込むことができてしまう。   すると会社は、桜也のがんばりに甘えて、より仕事を増やしてしまう。悪循環だ。   (会社。そうだ、桜也のいる会社ってたしか、数年前、新入社員が過労死した、というニュースがあったんじゃ…)

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