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気になるあの子-2

江川と一緒に行きつけのバーの扉を潜る。 『ゲイバー・みよし』 電飾の派手な看板を見上げて、先に扉を潜ろうとする僕を制止するように、江川が腕を引いた。 「お前、こんなとこくんの?」 「うん」 「なんか、こう……ヤバイとこじゃないよな?」 「普通のバーと同じだよ。マスターが少し変わってるけど」 「よく来る、みたいなこと言ってたけど」 「なんていうか、ここのマスターと知り合いなんだよ。昔からの。江川、こういうのダメだった? 別のとこにしようか?」 「いいや、ここでいいよ。モノは試しっていうし。お前の言うこと聞いて間違いとか今までないし、信用することにする」 うんうん、と頷く江川にそれじゃあと扉を潜る。 カラン、とベルが鳴って薄暗い室内に足を踏み入れると、カウンターの向こう側にいたマスターがこちらを視認して、直後、満面の笑みを浮かべた。 「奏史(そうし)君!」 「こんばんは、景気どうですか?」 「まあ、ぼちぼちってとこかな。座ってよ」 軽く挨拶して、カウンター席に座る。 そわそわと落ち着きがない江川を取り敢えず座らせて、ほかほかのおしぼりを手渡す。 「江川、何飲む?」 「ビール。バドワイザーってある? それで頼む」 「じゃあ、それとジントニックお願いします」 注文を済ませておしぼりで手を拭いていると、手持ち無沙汰な僕らを見かねて、マスターが話しかけてくれた。 「彼は会社の同僚?」 「同期の江川です」 「よろしく」 江川の挨拶にマスターは愛想の良い笑みを浮かべた。 穏やかな笑顔は昔と変わってなくて安心する。 口元に笑みを作る僕とは対照的に、江川の表情は少し硬いように思う。 もしかして無理に付き合っているのでは、と不安に思っていると不意にこんな質問をされた。 「ここに来る客って、やっぱそういう人らなの?」 「普通にノーマルの人も来るよ。バーなんだから」 「ふうん」 そのことを気にしてたのか。 一言僕に聞くとそれきり何も言わなくなった。 初めてこういうところに来たのだから、気になるのも仕方ないことだ。 別段、聞かれたからといって失礼だと怒るような事はしない。 やがて、グラスに注がれた酒が目の前に敷かれていたコースターの上に置かれた。 僕は飲み口が爽やかなジントニックで、江川はアメリカ生まれのビールの、バドワイザー。 僕はビールは殆ど飲まないから違いはよくわからないのだが、江川曰く、喉越しが良くて美味いらしい。 「マスターってゲイの人?」 なんとも無しに聞いた江川の問い掛けに、マスターの視線が向く。 遠慮がないな、と思いながらどうフォローしようかと考えているとマスターは笑いながら江川の質問に答えた。 「そうだよ。同性愛者。パートナーもいる」 「そうなんですか」 「籍も入れてあるし、息子もいる。養子なんだけどね。昔は奏史君に色々面倒見てもらってたんだ」 「もう随分昔の話だけどね」 「ふうん」 江川の様子に、取り敢えずほっとして安堵に胸を撫で下ろす。 たまに冷やかす輩も居るものだから、江川がそういう奴でなくて良かった。 「でもなあ、相手がいるだけすごいと思うよ。俺なんかもう一生独り身な気がしてきた」 「一般的には女性が恋愛対象ってなってるけど、それに絶対ってことはないからね。世の中には色々あるんだ」 「お前、理解力カンストしてねえ? 時任のそういうところ初めて見た」 「学生の頃、僕の家のお隣が光紀(みつのり)さんとこで、よくお邪魔してたからそういうのには全く偏見はないよ」 両親が共働きで殆ど家に居ることがなく、一人で過ごす事が多かった僕は、よくお隣の光紀さんの家にお邪魔していた。 夕飯をご馳走になったり、一緒にテレビを見たり。 そういう家族らしいことは、実の親と殆どしたことがない僕にとってはとても充実したものだった。 楽しくて、ここが自分の居場所だったらいいな、とも思っていた。 だから、彼らには感謝している。 昔のように気兼ねなく付き合えたらいいとは思う。 けれど、それが無理なことも知っている。 ――(まこと)には、本当に酷い仕打ちをしたから、きっと今でも僕を許しはしないだろう。 「――ただいま」 からん、と入口のベルが鳴って現れた人物に一斉に視線が向いた。 そこには、おそらく仕事帰りだろう。 マスターの光紀さんのパートナーである義仁(よしひと)さんが、春物のコートを脱いでコートフックに掛けているところだった。 「おかえり」 「最悪だよ、帰りがけに雨に降られて……って、そこに居るの奏史か? 久しぶりだなあ」 「こんばんは。ご無沙汰してます」 ぺこりと頭を下げると、義仁さんは嬉しそうに破顔する。 このバーにはよく来るのだが、義仁さんは仕事の都合上こうして会うことはあまりない。 今日は偶然、運が良かった。 「光紀から話は聞いていたけど、お前、男前になったなあ。モテるだろ?」 「いえ、言うほどは」 「嘘つけ、お前よく職場の女子にランチ誘われてるだろ。俺なんか一回もそういうことないんだからな!」 隣で聞いていた江川が吠えた。 相当不服なのだろう。グラスに残っていたバドワイザーを一気飲みして、おかわり! と声高に告げる。 「腹減らないか? なんか作ってやるよ」 得意げに口角を上げて、義仁さんはカウンターの奥からフライパンを掲げて言った。 彼は調理師免許を持ってて、仕事もそれを生業にしているから料理の腕はかなりのものだ。 「酒のつまみといったら、アヒージョとかどうだ?」 アヒージョはスペイン料理だ。ニンニク風味のオイル煮で、具材は様々。 ワインによく合うから酒の肴にはぴったりだ。 「食いたい!」 「待ってな、今作ってやるから」 江川の食い付きぶりに苦笑しながら、酒を喉奥に流し込む。 仕事帰りで疲れているところ、気を遣わせてしまったかもしれない。 「すいません、気を遣わせてしまって」 「いいのいいの、俺が好きでやってるんだから」 ジュワッと音を立ててフライパンを揺らしながら義仁さんは笑って答えた。 ニンニクの香りが店内いっぱいに広がって、食べる前から美味そうだと、隣で江川が喉を鳴らす。 「ミツ、そういや誠は? まだ帰ってないのか?」 「今日は朝仕事に行ったっきり見てないなあ。遅くなるようなら連絡入れなさいって言ってるんだけど」 カウンターの向こう側では、二人が顔を合わせて話し込んでいる。 それを眺めながら懐かしさに瞳を細めていると、横から江川が顔を近づけて耳打ちしてきた。 「誠って誰?」 「さっき話してた養子の息子のことだよ」 なるほど、と相槌を打つと江川は難しい顔をして黙り込んだ。 その様子に訝しんでいると、目の前に出来上がったアヒージョが置かれる。 海老とマッシュルームのスタンダードなものだ。 スペイン料理ということもあって、これにバゲットを合わせて食べる。 オシャレすぎておじさん二人には敷居が高いような気もするが、味は美味でお酒が止まらなくなるのも頷ける。 「誠ねえ……どっかで聞いたような名前なんだけど、どこだっけかなあ」 アヒージョに舌鼓を打っている僕の隣、オイルで煮込まれた海老を突きながら、江川が零した。 その疑問の答えを僕は知っていたけれど、話すとややこしくなるからダンマリを決め込む。 「義仁さん。今日、僕がここに来たこと、誠君には秘密にしててもらえませんか?」 「どうして?」 「彼と会うのは少し気まずくて」 「そういえば、奏史が居なくなる頃、お前ら喧嘩してたっけ。誠に聞いてもなんも喋んないし、なんで仲違いしてたのか理由は知らないけど」 そんなことあったなあ、と昔を懐かしむように義仁さんは言う。 もう10年も前の話で、この人たちが覚えてるか分からなかったが、今聞いた話だと記憶の隅にはあったみたいだ。 けれど、だからと言って根掘り葉掘り聞いたりはしない。 僕の心中を察してくれたのだろう。 わかったよ、と頷かれてそっと目を伏せる。 彼の帰って来る場所がここならば、長居をするわけにはいかない。 まだアヒージョを食べている江川の肩に手を置いて立ち上がると、椅子に掛けてあった背広を手に取った。 「江川、そろそろ帰ろうか」 「ん? おお、もうこんな時間か。これ食ってからでも良い? あと二口だから」 「うん、先に会計しておく」 今日は付き合わせてしまったからと、僕の奢りで支払った。 江川に投げキッスをされて、颯爽とそれを避ける。 光紀さんと義仁さんは、また来てねと言ってくれた。 そのことになんだかとても嬉しくなって、年甲斐もなく泣きそうになる。 昔も今も、彼らの側は温かくて心地良い。 ずっと居たいけれど、そんな事をすれば彼が嫌な顔をするからさっさとここを出よう。

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