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「付き合ってください」-1
〈江川 雪人〉
昨日の新島との件を引きずりながら、重い足取りで出勤する。
なんとなくオフィスには入り辛くて、手持ち無沙汰に休憩室に入るとそこには時任がいた。
珍しいこともあるもんだ。
時任と言えば、朝早く来てオフィスの掃除をしていることもザラじゃない。
「おはよう、どうした? こんなとこいるの珍しいな」
「ああ、江川。おはよう。なんていうか、悩み事があって。公私混同はしたくないから、始業前にどうするべきか身の振り方を決めておこうと思ってね」
時任の答えが意外で驚いた。
普段からそういう事は話さないから、悩みなんてないと思っていたけれど、こうして俺に零すんだ。
その悩み事が、ちょっとやそっとで解決するものではないことは薄々感じ取れた。
「お前でも悩み事あるんだなあ」
「そういう江川だって、何か悩んでるんだろ?」
「うん、まあ」
歯切れの悪い俺の返事に、時任はぽんぽんとソファを叩いて座れと促す。
それに従って、時任の隣に腰を下ろした。
「お前、昨日一日経理にいたから知らないと思うけど、新島のことで、ちょっとな」
「この間愚痴ってたやつ?」
「ああ、うん。帰り際話しかけたら新島のやつ、俺と話す事はないとかなんとか言って帰ってったんだよ。ものすごいスピードで逃げるように」
「やっぱり俺、新島に嫌われてるのかなあ。そんな厳しくはしてないつもりだったんだけど、難しいな」
でかい溜息を吐き出して項垂れる。
昨日帰宅してからずっと考えていたが、どれだけ頭をひねっても嫌われる理由が思い浮かばなかった。
「江川は良いやつだよ」
宥めるような時任の言葉に顔を上げると、いつもの笑顔がそこにあった。
不覚にも目頭が熱くなって、慌てて手の甲で拭う。
「俺、一生お前について行くわ」
「抱きつくのはやめてよ。スーツにシワがつく」
抱きつこうとした俺を片手で制して、でも、と時任が零す。
「こればっかりは、新島君に理由を聞かない限りは平穏に仕事できないね。江川の効率が落ちると皺寄せが来るし、そうなるとまわりわまって残業地獄確定だから早急になんとかしないと」
時任の言葉通りなのだが、こうして説明されるとクルものがある。
さっきの涙が少し引っ込んだ気がした。
「そういえばお前、そういう奴だったな」
「一応、主任だから。なんとか出来なくてもなんとかしなくちゃいけないんだよ」
もっともな発言に、こいつも苦労してるんだなあと同情の念が湧き上がる。
そういえば先ほど、時任も悩み事がある、みたいなことを言っていた。
俺の話を聞いてくれたしここは、ひとつ年上の歳の功を活かして相談に乗ってやるとしよう。
けれど、意気込んでいる俺の隣、時任は不意に立ち上がった。
俺の相談タイムはどこに行ったんだ?
せっかくの意気込みをなかったことにされて、出鼻を挫かれた俺には目もくれず、時任は俺のそばから離れていく。
「江川はここで待ってて。たぶん新島君、オフィスの掃除してると思うからちょっと聞いてくるよ」
そう言い残して、時任は休憩室から出て行った。
即決して即行動に移す、なんてことはなかなかできるものじゃない。
そこに素直に感動して。
とりあえずコーヒーでも飲んで待っていよう。
十分後、時任は休憩室に戻ってきた。
先ほど見た笑顔を貼り付けて、にこにこしながら。
「新島君、悪気があったわけではなかったみたいだよ」
「……あれで?」
時任の言葉に昨日の出来事が脳内でリフレインする。
悪気があっても嫌だけど、なくてもそうかと素直に納得は出来ない。
悶々としている俺を他所に、なぜか時任は笑顔のまんまだ。
まるで、俺の悩みが解決して良かったなあと言っているみたいで。
実際にそんな事はないのだけど、あの笑顔を見ているともう問題はないと言外に告げられているような気がしてならない。
「一応、江川には謝っておくように言っておいたけど」
「それ、新島には難易度高くないか? 俺とロクに口聞かない奴が、対面で話せると思うか? 思わないだろ?」
爽やかな笑みがなんだかムカついて突っかかると、そうだなあ、と時任は思案する。
「そこはちゃんと考えがあるから、江川は気にしなくても良いよ」
「ほんとかよ」
「江川、さっき僕に一生ついて行くとか言ってなかった? だったら少しは信用してよ」
揚げ足取りみたいなことを言う。
けれど、時任の言葉には間違いはない。
誠実が服を着て歩いているような男だし、もとより時任のことは信頼している。
「わかったよ、お前に任せる」
「ありがとう」
最後に見慣れた笑みを俺に向けて時任は休憩室を出て行った。
未だ足取りは重いが、ウジウジ悩んでいても仕方ない。
パン、と両手で頬を叩いて気合をいれて。
それから俺も総務部へ向かった。
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