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正真正銘のクソ野郎-2
「失礼します」
総務のオフィスに一歩入ると、やはりこちらもざわついていた。
五十嵐ほどではないが、なんだかそわそわしている雰囲気はなんとなく伝わってくる。
「どうした?」
入り口で突っ立っていると声をかけられた。
首からかけている社員証を見ると、江川雪人 と書いてある。
江川と言えばこの間、バーの前で奏にぃと会った時に名前を聞いた。
総務の同期と言っていたが、この人のことか。
「主任いますか?」
「いるよ、呼ぼうか?」
「はい。お願いします」
「――時任、お客さん」
江川さんは振り返って、奏にぃに声をかける。
窓際のデスクには奏にぃが座っていて、やはりこちらでも絡まれているようだった。
総務の女性と言えば、あれは三嶋さんか。
よく五十嵐と前園さんが一緒にランチに行っているから、名前だけは知っていた。
呼ばれた奏にぃは三嶋さんから逃げるように駆け寄ってくる。
それを見て江川さんは、笑いながら奏にぃの肩を叩いた。
「人気者は大変だな」
「今日だけ代わってみる? なかなか楽しめると思うけど」
「冗談だろ? 遠慮しとくよ」
軽口を叩きあった後、江川さんは自分のデスクへと戻っていった。
それを見送って、奏にぃが俺へと向き直る。
奏にぃが口を開く前に、手を伸ばしてスーツの襟首を引っ掴むと首筋を確認する。
五十嵐が騒いでいた通り、色白な肌には赤い印がこびり付いていて、思わずぱっと手を離してしまった。
自分でも動揺してしまっていることに驚く。
奏にぃに、恋人がいても何ら不思議はないのに。
むしろそっちの方が自然な事だ。
結婚していてもいい歳だし、何もおかしくない。
なのに、ここまで動揺している自分が信じられなかった。
「大瀬戸? どうし」
「――ちょっと来て」
有無を言わさずに腕を取ると、そのまま引きずるように総務のオフィスを出た。
俺のいきなりの行動に、部署内の注目を集めまくっていたが、今はそんなのはどうでもいい。
足早に休憩室に駆け込むと、荒々しくドアを閉める。
中に誰もいないことを確認してから、そこでやっと奏にぃと向き合った。
「それ、なんだよ」
首元を指差して詰め寄ると、奏にぃは困ったように眉を寄せた。
「キスマーク、かなあ。たぶん」
首筋に手を当てて曖昧に濁した返答に、ますます意味がわからない。
なんでそんな他人事みたいに話すんだ?
そんな態度が俺の苛立ちを募らせていく。
「恋人いんの?」
「いないよ」
「じゃあ、女引っ掛けてたってこと? セフレ?」
「まあ、そんなところかな」
えらく軽い物言いに、得体の知れない不気味さを感じた。
俺の知ってる奏にぃは、こんな人だったろうか。
「びっくりした? 僕がこういうことしないって思ってたろ」
図星だった。
「別に誠にどう思われようと良いんだけど、そうやって決めつけられるのは心外だよ。誠は僕のことなんて何も知らないだろ?」
そんなことはない、と言ってやりたかった。
けれど奏にぃの言う通りだ。
俺は彼のことを何も知らない。
この10年、何をしてどう過ごしていたのかも。
俺にはもう関係ないと、関わり合いになりたくないと思っていてもどうしても気になってしまうのは、まだ奏にぃのことが好きだからだ。
昔に好きだった彼に縋っているからだ。
優しくて温かい彼に縋っているからだ。
また昔みたいに、なんて腑抜けたことを思っているからだ。
それを振り払えずに、今も奏にぃに期待している。
もうそんなこと、叶いもしないのに。
10年前、俺に気持ち悪いと言い放った奏にぃの目は酷く冷たかった。
言葉だけでなく、彼の態度も。全てが物語っていた。
この人は、俺のことが嫌いなんだって。
「アンタに一つ、聞きたいことがあるんだ」
真っ直ぐに奏にぃの目を見つめて、逸らさないまま告げる。
「あの時、どうして俺にあんなこと言ったの?」
ずっと、それが気になっていた。
過去のことは変えられない。
けれど、変えられないにしてもどうしてあんなことを言ったのか。
その理由を、奏にぃの口から聞きたかった。
たぶんもう一度、奏にぃに拒絶されればきっぱりと諦め切れる。
もうこんな思いを抱えて苦しむこともない。
そう思っていたのに、
「……誠、昨日僕がどこで何してたと思う?」
奏にぃは俺の質問には答えなかった。
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