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誰も知らない貴方の顔-2
昼休憩の時間になって、凝り固まった肩をほぐすように伸びをする。
あれから、連行された時任主任は総務のオフィスには戻ってこなかった。
それもそうだ。
今日は経理に顔を出す日だから、こちらに戻ってこないなんてことは当たり前。
けれど、最後に見たのがあれだったから、多少は気になるというのが本音だった。
顔をしかめてパソコンの画面とにらめっこする。
もう少しで終わりそうだから、あとちょっとやってから休憩しよう。
そう思っていた矢先、正面からお呼びが掛かった。
「新島、飯行くだろ?」
「行く! 行きます!!」
条件反射で顔を上げて答える。
あまりにも勢いが良い返事に、江川さんは不意打ちを食らったように固まって、それから可笑しそうに笑った。
「お前、元気良すぎだろ」
「だって、江川さんと昼飯行くの、すごい嬉しくて!」
「この間から約束してるだろ。いい加減慣れたら?」
慣れるなんてとんでもない!
ブンブンと横に頭を振ると、そんな俺を見て江川さんは苦笑する。
「わかったから。頭取れそうだからそれやめろ」
椅子から立ち上がった江川さんを追いかけるように、俺も席を離れて後を追う。
江川さんとの昼飯はいつも会社の食堂で済ませる。
女子ならば外でランチとかするのだろうけど、男二人だともっぱらここで事足りる。
「新島、席とっといて」
「わかりました」
言われた通りに、空いているテーブルを確保する。
江川さんは社食を取りに行ってるんだろう。
彼の昼飯は毎日日替わり定食で、俺は母さんが作ってくれる弁当。
なのだけど、今朝持ってくるのを忘れたから、今日は行きがけに買ってきたジャンクフードだ。
ハンバーガーとポテト。
冷めてしまったそれはあまり食欲はそそられないけれど、食に拘りがないからこんなのでも我慢できる。
「お前、今日それなの?」
俺のハンバーガーを指 して、戻ってきた江川さんは訊ねる。
今日の日替わり定食をテーブルに置くと、椅子を引いて座りながら珍しいと言った。
「今朝弁当を持ってくるのを忘れてしまって」
「俺みたいに社食にすればよかったのに。身体に悪いだろソレ」
「すっかり頭になかったです」
遅刻すると思って慌てていたものだから、それすらも頭から抜けていた。
こういうところが俺の短所だ。
落ち込みながらもそもそとポテトを齧っていると、目の前にコーヒーが置かれた。
紙コップに入れてきてくれたそれは、熱々で湯気を立てている。
真上から覗いた水面は真っ黒で、自分の顔をぼんやりと写していた。
「ミルク必要だったか?」
「え、いえ。大丈夫です」
いきなりの問いかけに、つい虚勢を張ってしまった。
コーヒーのブラックは正直苦手だ。飲める気がしない。
紙コップを両手で持ってじっと睨みつけていると、視界の端からコーヒーミルクが投げつけられた。
おそらく、江川さんが持ってきたものなんだろう。
俺が使ってもいいのか、視線で伺いを立てると俺の意図を察したのか。
「お前にやるよ」
「……ありがとうございます」
大丈夫だと言った手前、施しを受けるのは恥ずかしいものがある。
けれど無碍にもできないし、素直に受け取った。
いただきます、と声が聞こえてパキッと割り箸が割られる。
真っ直ぐに割れたなあ、と変なところに目を付けながら、俺もハンバーガーの包みを開けていると、俺の見ていないところで何やらくぐもった悲鳴が聞こえてきた。
顔を上げると俺の正面では小さな葛藤が起きていた。
定食に箸をつけようとした江川さんが一瞬躊躇する。
浮いた箸先が宙を舞って、それから苦々しく口を開いた。
「新島、お前これ食える?」
ひょい、と持ち上げたのは肉じゃがに入っていた人参だった。
一口大に切られたそれは、しっかり煮込まれていて味も染みているはず。
美味そうだけれど、江川さんはそれを俺に食べろと言う。
「にんじん、嫌いなんですか?」
「いや、嫌いっていうか。こいつのにんじん臭さっていうの? それがヤなだけ」
「それを嫌いって言うんじゃないですか?」
「うっせえ、いいから早く食えよ」
顔の真ん前に人参を押し付けられて、少し思案する。
食べるのは別に構わない。
構わないのだが、これだと俺が食べさせてもらう形になるんじゃないか?
たぶん、俺が箸を用意していないからわざわざこうしているんだろうけど。
「なんだよ」
「いえ。それじゃあ、いただきます」
じっと江川さんの顔を見つめていると、怪訝そうに眉をひそめられた。
別に彼が気にしていないというなら、俺も何も言わない事にする。
口を開けてぱくりと頬張ると、続けざまに第二、第三の人参が口の中に放り込まれた。
「ふまいへふ」
「口ん中にモノ入れて話すな」
「……っ、うまいです」
ごくんと飲み込んで答えると、江川さんは良かったな、と嘆息した。
俺には理解できないと言うような渋い顔は、普段あまり見ることがないぶん、新鮮に思えた。
「江川さん、かわいいところもあるんですね」
ぽつりと零した俺の言葉に、江川さんはぎょっとした。
やめてくれよと顔を顰 めたのを見て、慌てて背筋を正す。
「すいません、おれ」
「そんな畏まらなくてもいいけど。てか、男にかわいいはないだろ?」
「え、でも三嶋さんよく俺に言いますよ。かわいいって」
「お前はいいんだよ、お前は。俺に対して言う事じゃない」
肉じゃがのジャガイモを箸で突きながら口を尖らせる江川さんは、やはり不満そうだ。
そういうものなんだろうか。
嫌味のつもりで言ったわけではないし、一応、俺としては褒めたつもりだったので、気を悪くさせたのなら謝らないと。
「すいません……」
「怒ってねえよ。お互い様だ」
「んん……? それって、どういう意味ですか?」
訊ねると、江川さんはバツの悪そうな顔をした。
うっかり口を滑らせたのか、あー、なんて間延びした返事をしながら俺から顔を背ける。
明後日の方を向いて、視線を彷徨わせるとやがて観念したように口を開けた。
「俺もたまにそう思うし、お前のこと……その、かわいいとこもあるなって、」
「ほんとですか?!」
江川さんの予想外の返答に、俺は心底驚いた。
思わず前のめりになって詰め寄ると、江川さんはビクッと肩を揺らす。
「おまっ、近い近い! ……っ、なんでそんな嬉しそうなんだよ」
「だって! 江川さんが褒めてくれるから! 嬉しくもなりますよ」
「新島って、たまーに変なスイッチ入るよな」
「そうですか?」
自分では自覚はないけれど、江川さんに言われたんじゃ実際にそうなんだろう。
「そういうとこが、……いや、なんでもね」
気にするな、と手を振られてこの話題はそれきり。
けれど、江川さんにまさかそんな風に思われていたとは知らなかった。
改めて頭の中で反芻するとなかなか嬉しくなってきて、ニコニコと口元に笑みが残る。
たまに見せる、江川さんのそういうところが本当に、
「かわいいと思うけどなあ」
ぽつりと零した俺の言葉に、江川さんはやめてくれ、と。
やっぱり苦い顔をして不満げにするのだった。
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