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第4話

 部屋を片付け、ノートパソコンを開く。張り切り過ぎていると思われないよう、時間ぴったりに動画通話アプリを起動した。 「あれ? 他の方は……?」  言われた通りの時間なのに、画面には祭のアイコンしかない。 「えっ、俺、言ってませんでしたか?」  まだ動画は写っていないが、音声から画面の向こうで慌てふためく祭の姿が想像できた。 「何をですか?」 「えっと、その。最初から俺と眞島先生の2人だけです。すみません……」  予想外の展開に亘も驚いた。  とは言うものの、正直に言って亘には好都合だった。祭以外の講師たちとどんな話をしたらいいのかと悩んでいたのだ。 「いえ。俺も鈴谷さんと2人のほうが話しやすいですから大丈夫です」 「本当ですか! よかった……」  祭が胸の前で手を握っている。可愛らしくて目の保養だが、そんなに緊張させていたのかと申し訳なくもなった。 「鈴谷さんこそ、いいんですか? 俺なんかじゃ面白い話もできないですが」 「そんなことないです! 眞島先生のお話、たくさん聞きたいです」  嬉しそうな祭の表情にほっとする。  祭が音頭を取り、リモートで乾杯をした。  リラックスしてきたところで、亘はひとつ違和感を感じ始める。家の中で「先生」と呼ばれるのは、どうも居心地が悪いのだ。 「俺が言うのもなんですが、飲み会の席でまで『先生』なんて付けなくてもいいですよ」 「えぇっ! じゃ、じゃあ、なんて呼びましゅっ、あっすみません!」  早くも酔いが回ってきたのか、祭はかなりオーバーリアクションだ。しゅ、の言い方がとても可愛かったので、心のボイスレコーダーに保存しておく。 「なんでもいいですよ。鈴谷さんの呼びやすいように」 「本当に……?」  どうして確認してくるのだろう。何か変なあだ名をつける気なのか。疑問に思ったが、祭になら変なあだ名で呼ばれてもいいような気がした。 「じゃあ…………亘さん」  照れくさそうにほほえみながら、祭は下の名前で亘を呼んだ。  なんとも言えないむず痒さを感じる。落ち着かないようで、しかし満たされるような感覚。 (ずっと名前で呼んでくれたらいいのに)  馬鹿なことを考えてしまう。  祭は職場の事務員で、亘は講師の1人でしかない。皆に好かれている彼が、亘だけ特別に名前で呼んでくれるわけがない。今夜は自分も酔いが回るのが早いらしい。  だからこれも、酔っ払いの戯れ言だと聞き流してくれるだろう。 「はい、祭さん」  自分が祭の名前を呼んでいる。頭がぼうっとして夢を見ているみたいだった。  画面の向こうでは、祭がニコニコと幸せそうに笑っていた。 「祭さんはどうしてこの塾に?」 「たまたま採用を見つけて。偶然だったんですけど、今はここに決めてよかったって思ってます」  何気ない世間話だが、祭は職場に不満はないようだとわかる。とりあえずひと安心した。 「いい塾ですよね。祭さんのおかげです」 「そんな! 俺なんて全然」 「とても助かってますよ。細かいことに気付いてくれるし。何より祭さんが働いてる姿に、みんな元気をもらっています」 「……それは、亘さんも?」 「勿論です」  祭がぽっと頬を赤らめた。流石にクサすぎたか。自分でもこんな台詞がすらすらと出てくることが驚きだ。普段なら言いたくてもうまく言えない。  祭との会話は思いの外盛り上がった。職場の話題から趣味まで、亘は自分でも意外なほどに多く喋った。 「亘さんもアクション映画を見られるんですね。ちょっと意外です」 「そうですか? 見た目はこれですけど、中身はわりと子供ですよ。ヒーローものとか大好きです」 「そうなんですね……」  なぜか祭が身悶えしている。 「変ですよね。もっと大人らしい趣味があるといいんですが」 「いえいえ! すごくいいと思いますよ。俺もアクション映画大好きですし、ギャップ萌えみたいな」 「ギャップ萌え?」 「意外性があって魅力的って意味です」 「魅力的ですか……」  今まで考えたこともなかったが、祭にそう言われるのは嬉しい。祭にとって魅力的な自分でありたかった。  いや、それでもたりない。祭のことももっと知りたい。思ったままに、口が滑る。 「あの、もしよければ。休業期間が明けたら、一緒に映画を観に行きませんか」  まるでデートに誘うみたいな言い方だ。ちょっとおかしいかなとも思う。しかしそれを制止するための理性は、すでにアルコールに溶かされている。  祭は戸惑っているようだったが、酒の力を借りてもうひと押しした。 「祭さんと映画が観たいです」 「えっ、本当に? 夢じゃない、ですよね?」 「駄目ですか?」 「そんなわけありません! 行きます!」  忘れないうちに手帳に書き込む。日時はまだ決められないが、絶対に行く。うやむやにされないように気をつけなければならない。  そのまま他愛もない話を続けて、日付が変わった。そろそろ遅いからと、名残惜しくも今夜は切り上げることになった。 「またリモート飲み会しましょうね」 「勿論です。おやすみなさい、祭さん」 「……おやすみなさい、亘さん」  名前を呼んで夜の挨拶をすることに、強い親しみを感じた。  亘は通話が終わってからも、しばらく心地よい余韻に浸っていた。  しばらくそうしていたあとにもう一度画面を見るが、そこにはまだ祭の部屋が写っている。カメラを切り忘れているのだ。  カメラのことを教えるために口を開けかけたとき、画面に肌色のものがアップで映った。  ほっそりとして色白ながらも、男らしく筋張ったふくらはぎ。肌を薄く覆う毛は、髪と同じく茶色で柔らかそうに見えた。 (これは……)  思わず口を抑える。気付かれたら大変だ。気まずいどころではない。見なかったことにしてそっと画面を閉じるべきだ。  しかし、亘の指は動かない。  何回か画面の前を行ったり来たりしたあとに、祭がやっと気付いてカメラを切った。  静かなワンルームに、亘の高鳴る心音だけがうるさく響いている。 (祭さんの生足、綺麗だった……)  こんな馬鹿なことを考えてしまうのも、きっと酒のせいだ。

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