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「もっとゆっくり───ヒぁっ……!」  廊下の左右に設置されたロッカーのひとつが急に開いて、青白い手が俺たちを掴もうとぬっと出てきた。  恐怖のあまり飛び上がり、紘野の腕に縋りつく。  う、動いている……動いているぞ……! 「電動式のオモチャだろ」 「わっわかってるし……くそ、おいっ! 触らせようとするな……!」  血糊がついた腕をぷらぷら触りながら俺にも触らせようと腕を引く紘野に全力で抵抗する。  もしかしなくてもこいつ、日差しの下より生き生きしてやがる……! 「ちょっと一旦冷静になろう……」 「騒いでいるのはお前だけだ」 「ううううるさい。まずは、そう、並び方を決めよう。お前が先行すると絶対俺を置いていくだろ」 「だったらお前が前歩けよ」 「嫌に決まってんだろ、漏らす」 「餓鬼か」  紘野にガキ扱いされた……。  鉛のようにどんよりとした気持ちで沈んでいると、この短い時間で何度目になるかもわからない深々とした溜め息が紘野から吐き出される。  そして、力いっばい握りしめていた俺の手を、今度は紘野が力強く握り返してきた。  痛みが生じるほどの握力に驚いて咄嗟に力を抜くと、緊張で固まっていた指先にまでピリピリと痺れが伝わって、じんわりとほぐれていく。  冷たくなった俺の手に温度を分け与えるかのように、人差し指、中指、薬指、小指と、俺より太く長い指がそれぞれのあいだに入ってきた。最後に親指がしっかりと絡められて、無骨な手に握り込まれる。  やんわりと絡ませたそこに、もう余計な力は入っていない。 「少しは落ち着け、馬鹿が」 「……ばかっていうほうがば」 「くちを動かす暇あったら歩け。置いていくぞ」 「もうばかでいいから置いていくのは()して……一生のお願いだから」 「わかった、置いていかない。だから代わりに、お前も俺から離れるな」 「…………ッッ、て、───っはひ!?」  天然タラシみたいなこと言いやがって、と照れくささ半分安心半分を誤魔化すために茶化そうとしたら、バン、バン、バン! とロッカーが何者かに叩かれ、あほみたいな悲鳴が出た。  まるで俺たちをこの場から追い立てているような激しさに驚かされて、俺は一目散にその場から飛び退こうとした。はずだった。 「離れるなと言った傍から……」  しかし逃亡は不発に終わり、がっちり繋がった左手を後方に引き戻され、背中を受け止められる。  逃走防止のためか、さらに空いた紘野の左腕が俺の腹部に回ってきた。  クーラーをきかせすぎた寒々しい屋敷のなかで、唯一傍にある自分以外の体温。ドクドクと伸び縮みする自身の心臓の音がやけにはっきり感じ取れる。  くそう、弱っている真っ最中にときめかせやがって。お前がそんなだからリウがいちいち俺らで妄想をするんだと言ってきかせてやりたいが状況が状況だ、後回し。  落ち着いたか? と耳元で囁くのはやめろ。囁くまではいいから、耳元はやめろ。 「ふぅーーー……はあーーあああ……。よし」 「行けるか」 「ああ、もう平気。お前がいれば、もう何も怖くない」 「……へえ。言ったな?」 「………………え?」  誰がどう聞いても素晴らしい友情に胸を打たれてスタオべするはずのこの感動的なセリフが引き金で紘野のドSスイッチが入ったと知るのは、もう間もなくのことだった。  

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