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 しかしどれだけ女々しく映ろうと、今、この盾を失うわけにはいかない。即席の壁の向こうで小さく笑う天敵の脅威を感じ取る。どうにかして、興を削がなければ。 「……何故、こんな(しつ)の悪いからかい方をするんですか」  顔が見えないのを良いことに、思いきって尋ねてみた。  揚げ足を取ったり言葉で言い負かす程度のからかいは、まだいい。  でも、こんな……無理に拘束するわけでも実際に危害を加えることもないとはいえ、からかいのレベルにしては、ちょっと、悪質ではないだろうか。  志紀本先輩は会長と違って、誰彼構わず手を出すような貞操観念の低いひとじゃない。かといってこうしてちょっかいをかけている俺に対してそういうアレソレな感情を先輩が向けているとは、これっぽっちも思わない。  去年から、スキンシップ自体はまあまあある方ではあった。  でもそれは、一時期男性恐怖症一歩手前まで陥りかけていた俺のリハビリも兼ねていたから、他意はなかったと思う。  けれど最近のは質が違う。あまり言いたくないが……あからさまに、"オンナ"、のように、扱われている。  俺がそういうのは嫌がるって、わからないひとじゃないのに。 「何故、か。そうだな……恩着せがましい言い方を選べば、お前の為でもある」 「どういう、意味ですか……?」  俺を困らせる数々の行為が、俺の為……?  当事者なのにさっぱり見当がつかない。隔てた盾はそのままに、続きを促す。 「生徒会副会長という立場を担うなら、誰が相手だろうと、どんな状況だろうと、もっと上手に躱してみせろ。この先もしも今のように何者かに迫られた時、一体どう対処するつもりだ?」 「……そういう『指導』をしているとでも?」  横暴だ、と切って捨てられないのは、耳に痛い話だったからだ。  去年、一般生徒だった俺は、完全に風紀の庇護下だった。それでも危うい場面に遭った経験はゼロじゃなかった。  しかし今はどうだ。  俺はもう、一般生徒の括りではない。  先輩の言うことは一理どころか概ね間違っていない。生徒会役員としておのずと必要不可欠となるスキルだ。  俺にはどんな状況でも切り抜けられるような腕っぷしの強さもなければ、家格という後ろ盾もない。副会長の肩書きを盾にしたとしても、力技や権力を前にしては残酷なほど非力だ。  考えれば考えるほど先輩のやることなすことが正しく思えてしまう俺を追い詰めるかのように、壁の向こうを一定のリズムでこん、こん、こん、こん、とノックされる。しかもだんだん刻むスピードが速くなっていってる。 「こんな可愛らしい防壁は、却って相手を煽るだけだ。自覚はあるか?」 「あ、あります、ありますから、そろそろご容赦してください……」 「学生の本分はなんだ」 「学習……?」 「その通り。だから、役職を持つ人間にも、環境に適応できるよう充分な学習の場が必要だと思わないか」 「大丈夫です、追々慣れますから」 「体験学習とでも解釈しておけばいい」 「話を聞いてくれませんか……」 「代替案があるなら聞いてやる。で、あるのか?」 「……」  だめだ、これはもう勝てない。  というか俺自身にもう戦う度胸がない。  今度もし同じ手段でからかわれたとしても、説き伏せられて終わるだけだ。 「人の上に立てば、そのぶん視野も広がる。じきに……この学園の、好ましくないところを、お前も見るようになる」  好ましくないところ、とは。  これでもそこそこ、この一年と約二ヶ月を通して見慣れたつもりだったけど。  多分、俺が見てきたそれらのことも、志紀本先輩が一番、知っていると思うのだけれど。 「……そういうものですか」 「そういうものだ。だから、少しでも経験値を上げるに越したことはない。ただでさえお前は高等部入学で、色々と危なっかしい立場だから」  生徒会の一員としてだと、見えてくるものはまた違うのだろうか。  まだ二年目とあって、人前での振る舞いや目に見える騒動のような、表面的なものしかとらえきれていない。そういう意味では、俺はまだまだ経験不足なのだろう。  

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