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 理事長の話が始まり、俺は一旦ステージの横に隣接された控え室に引っ込む。  誰もいないことをいいことに給湯室で作ったアイスコーヒーを使い捨てのプラスチックカップに注ぎ、ふかふかの高級フェザーソファーに体をもたれさせて一息吐いた。  冷たい苦味を流し込む。  耳を澄ませると聴こえてくる理事長の美声。綺麗な声だと思う。流れるクラシック音楽のように、耳に心地よく馴染む。  ただし、話すその内容が、溺愛する甥っこについてではなければ。  ───まさか理事長がモンペとは。  この約一ヶ月の学園の騒ぎを見て、口を挟まずにはいられなくなったってところだろう。  マイク越しに聞こえる「ルイをいじめたらだめだよ」、という柔らかくも圧を孕んだ理事長の言葉に、一体何人の親衛隊が打ちのめされていることやら。  一時的には止まるだろうが、ヘイトを増幅させることは想像に容易い。  いちいち生徒の問題に介入してくる叔父ってなんだよ頭痛い。集会だるい。いつもより早く起きたせいで眠いし準備は面倒だし。集会だるい。 「どこで油売ってんだあのバ会長……」  それにしてもあのクソ会長、遅いな……。  登校までは一緒だったものの、鉢合わせた藤戸氏が聞いてもいないオタゲートークを始め、会長が雑極まりない相槌を打ってる隙に俺だけこっそり抜けてきた。あの担任は総じて話が長い。  しかし理事長の挨拶が終わったらすぐ会長の出番なのに、何ちんたらしてんだあのアホ会長は。  もしやまだ藤戸氏に捕まってたりする?  もしかしなくても俺が会長を餌食にして置いていったせいだったりする……? 「どうしたの。ひとりで百面相して」 「……、っ、」  突然、頭の上から降ってきたその美声に、出かかった悲鳴を飲み込む。両手で包んでいたカップの中のコーヒーがぽちゃんと危うく揺れた。  ソファから恐る恐る立ち上がり、背後を振り返る。  いつ入ってきた。  いつの間に俺の後ろに。  百面相と言われるほど表情を出していたわけでもないのに、後ろから見ただけでどうして俺のこころをあーあーずつうがいたい! 「理、事長……」 「しばらくぶりだね、リオくん。お早う」  にっこりと、計算されたような美貌に計算されたような笑みが浮かぶ、絶世の美男。  一方返す俺の表情は多分ぎこちない。朝から心臓に悪すぎる。 「……おはよう、ございます。あの、できればもっと普通に声をかけてくださいませんか……」 「驚かせたならすまない。君や学園の生徒の顔を見るのは久しぶりだったから、嬉しくてつい。大人げなかったよ」  許してくれるかな、とさらりと髪を揺らしながら首を傾げて、ご機嫌をうかがってくる男性。  彼こそが、学園の理事長であり王道の叔父であり、本日俺の頭が痛くなる要因だ。  神秘的な輝きと艶を放つ銀の髪。  サファイアのように知的で怜悧な藍の瞳。  瞬きのたびに羽を開くのは音が立ちそうなほどに長い白銀(しろがね)の睫毛。  陶器のように白く、体温を感じさせない肌の色。  かっちりとした品の良いタイトスーツに包まれた手足はすらりと長く、指の色形ひとつを取っても精巧な芸術品のよう。  甘く低い美声を奏でる薄い唇には、他者を惑わす柔和な微笑み。  20代前半と申告されても可笑しくない超絶美貌の理事長の実年齢は40代前半。詐欺かよ。  

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