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「……あいつ、」 「……」 「中庭の、木の上、に、居た」 「……」 「おれ、喋るの……下手、……で」 「…………」 「手、伸ばし……でも、こない。だから、」  浮かんだ単語を装飾無くそのまま吐露するような、辿々しい告解。櫛代わりにあてた手で頭を撫でることで、相槌を打つ。  無口わんこ無口わんこと軽率に当て嵌めるけれど、実際のところ、日常生活やとっさの状況で不便なことも多いだろうなとは、客観的に思う。  これが親しい人間なら、タツキの人となりを知っているからこそ悪い方向に取り間違えることはないけれど、他の人間もそうとは限らない。  ゆっくりとしか紡がれない言葉を、誰もが辛抱強く待ってくれるとは限らない。 「……木に、登って。むりやり、つかまえた……だ、から、」 「……」 「……こわがらせた、かも……」 「そうですか……」  だが、同情や気遣いは無意味だと思ってる。たとえそれをコンプレックスに思っていたとしても、本人がどうしたいかは本人にしか分からん。  だから今ここで、「あなたは悪くないですよ」、とか、薄っぺらい慰めなどする気はしない。そもそも慰め役など向いていない。  今のタツキを巣食うのは猫の安否だけではなく、自分の行為で猫を怯えさせたのではないかという不安。  男ならそんな小さいこと気にすんな、と言ってやりたいのはやまやまだが、それよりももっと気になるワードが。  一度ドライヤーのスイッチを切る。 「木の上に、登ったんですか」 「……え?」  意外なことを訊かれたとばかりに語尾が上向く。そして疑問符いっぱいの顔のまま、こくりと首肯した。  時系列を整理してみると、何故か木の上に子猫を発見、降りてこないので自ら登って捕獲、抱えて寮に戻ろうとしたけど雨が降ってきたので焦ってその場に待機、というのがここまでのタツキサイドのあらすじ。  一刻も早く助けたかったんだろうけど……、まったく、野生児じゃないんだから。 「お怪我はありませんか?」 「…………おれ、に?」 「ええ。あなたは、大丈夫でしたか?」  タツキがよく昼寝に利用する中庭に生えている桜の木はそれなりに高く、手入れがされているとはいえ素手で木登りなんてするもんじゃない。  よく見たらこいつの手は傷だらけだった。  しかし本人はそれに気付かず、あまつさえ自分への心配に対して不思議そうな態度。  自分の痛みに鈍感過ぎるのか、あるいは、猫の命を優先するあまり自分のことは二の次。そっちの方が、無視してはおけない。 「おれより……こいつの方が、ずっと、」 「三度も言わせないでください。早く答えないと中庭でのひなたぼっこは今後お預けにしますよ」 「だ、だいじょぶ」  咄嗟に答えました感満載だが、まあいいだろう。小刻みに頷く頭に手を乗せ、柔らかい髪を軽く撫でる。  大の男への対応にしては相応しくないと思う。しかし今のこいつの態度にはどうにも、可愛い妹と重なる部分があった。  あのこは俺に心配をかけまいと怪我を隠すタイプで、今回のタツキのケースとは少々異なるのだが、意固地なのはどちらも同じだ。  そういうときは頭を撫でてやればいい。こうして。  不思議そうに振り返ったタツキを見下ろして、できるだけ優しく見えるよう、ちいさく笑いかけた。 「あなたに怪我がなくて、良かった」  

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