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最後にぽんぽんと俺の頭に置かれた手がようやく離れていき、乱れた髪を手櫛で整える。
年はさほど変わらなそうなのに、ちいさな子供同然の扱われ方だ。しかし相手が持つ雰囲気のせいか、屈辱感や抵抗感はさほどない。
「あ、そういえば。俺の名前、燈 っていうの。あんたは?」
「……えっと…」
「んー……初対面なのに馴れ馴れしいか? まあいいや。また機会があれば、その時な」
今更始まった自己紹介に戸惑いを隠せず狼狽する俺にも、相手の態度は柔らかい。
友好的で社交的なのはすごく伝わる。
それに対し、ぎこちない態度で応じることしかできないのは状況の整理と相手への信用がまだ不十分だからだ。
いや、この状況でさらっと自分の素性を明かす方がおかしい。まあまだ本名かどうかはわからないけど、それでも状況にそぐわないこのフレンドリーさは異様だ。
どう、対応することが最適解なのか、わからない。
「あ、そうだ。俺が今夜この場に野次馬に来たってこと、紘野には内緒にしておいてくれねェ?」
「それは別に、構いませんけど……」
「ん。ありがとよ」
口止めされずとも最初から話す気ないけど。アイツとこの人がどんな人間関係にあるかどうかは知らないが、俺が何か言ったところで「そうか」で終わるだろうし。
そしてこの状況にもやっと、終止符が打たれる。
「────おー、アカリちゃん居たぁ」
入口付近から倉庫内に響き渡った第三者の呼び掛けにビビって条件反射でフードを目深にかぶり頭を両手で押さえながらずさささっとその場から後ずさった俺を誰も笑えまい。
「……、ふは、猫みてえ。かあわい、」
いや、笑うひといたわ。
目の前の相手だわ。
つぼが浅いのか、俺の機敏な動きを見たそのひとは手の甲の裏で口元を押さえながらくつくつと低く笑う。
その顔のまま、廃倉庫の入口に向けて首を捻らせた。
そこには、ポケットに両手を突っ込みだるそうに立つ長身が一人。
間延びした口調、襟足が鎖骨よりも長い染色された髪を持つ男性。顔は影になってよく見えない……けれど、遠目で見て明らかなほどこちらも体格がいい。
「待たせたな、岬 」
「もぉ、なに油売ってんのー? 早く引き上げようっつってたのアカリちゃんの方なのにぃ」
「あーもうそんな時間? ……じゃ、ばいばい」
入口の方に完全に身体を向けたそのひとが、俺を振り返ってにこりと笑い、ヒラヒラと片手を振った。そしてそのままくるりと背を向けて行ってしまう。
「あ、」と声が上ずる。中途半端に上がった手を下ろせない。
「アカリ」って……本名、だったのか。
最初から欠片も信用する気もなくひたすら身元隠しに必死だった自分と比較して、己の精神的余裕のなさを恥ずかしく思う。
確かに一定の警戒心は持ってしかるべきで、それは間違っていないと思うけれど、誰彼構わず牙を剥ければいいってもんじゃない。
暴走族の世界にも"横の繋がり"がある。きっとこのひとは《白蛇》の人間じゃない。それなら《黎》の味方になるかと言えばそういうワケではないけれど、実際このひとは、最初から最後まで一度だって俺に暴力を奮わなかった。
これは警戒する方が却って失礼だ。
小さく息を吸って、気持ちを落ち着かせる。
「……アカリ、さん」
長髪の人の催促を「わかったわかった」と軽くいなしがら入口へと歩き出しすアカリさんの名を、そっと呼ぶ。小さな声だったけれど、どうやら彼は耳がいいらしい。
5メートル程度先でくるりと振り返ったその顔に、威圧的な空気はやはり微塵も感じられない。
脱げない程度に目元を覆っていたフードをちょっとだけ持ち上げる。
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