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「で?」  悠長に寛ぐアカリから一言、脈絡もなく投げかけられた問いに、ミサキはがりがりと無造作に後頭部を掻く。 「なんでもぉ、好きなコを《黎》に横取りされたと勘違いした《白蛇》がぶちギレたってのが衝突の発端らしぃよぉ」 「……」 「勝ったのは《黎》。でも《白蛇》はその名の通り蛇みてぇに執念深いしぃ? 一度負けたくらいじゃ多分懲りないよねぇ」 「だろォな」  すべて予想通り、とでも言いたげなアカリの態度に、ミサキはわざとらしく頬を膨らませる。せっかく仕入れた情報も、聞き手がこれでは面白みに欠けるというものだ。  だが、元より腐れ縁の身。人使いの荒い総長だからといって、本気で怒りを覚えているわけではない。  どころかミサキは、男の命令ならどんな理不尽だろうと従うきらいがある。  しかし少しばかり、今夜の男のある行動には、引っ掛かりを覚えていた。 「……ソッチはぁ? 俺がせっかくアシになってあげたのに、どこで油売ってたの」 「神宮にちいと挨拶しただけだ。挨拶っつっても、喧嘩じゃねぇよ」 「そっちじゃなくて」 「あ?」 「オトコ引っ掛けてたでしょ。廃倉庫にいた、あのフードのやつ。あれはなんなの」  顔は隠されていた。  体のラインは服で誤魔化されていた。  そのような明らかに怪しい相手と、けれど楽しそうに話すアカリの様子が、なんとなく脳裏にこびり付いている。  あれは男の、友好的な"昼の顔"だった。  この男の"夜"にはあまりにも、不釣り合いの表情だった。  暴力の権化たる男が、ましてや夜の世界で。昼の世界そのままの表情、温度で、自分が名も知らぬ人間と接していたことがひどく目についたのだ。  詰問じみたミサキの様子も意に介さず、アカリは記憶を馳せるように遠くの月を見つめる。そうしてフッと笑った。それはもう柔らかく。 「……たかだか服を汚しただけ(・・)、怪我をしただけ(・・)、そんなちっせえことでも心配してくれる相手がいるってのは、幸せなことに違いねェよなあ」 「え、ナニ? 聞こえないんだけど」 「俺は感動したね。自分が痛めつけられることを想定して、それでも紘野(あいつ)を守ろうとする存在()がいてくれたことを」 「……何のハナシぃ?」 「紘野の"帰る場所"のハナシ」  なんでそこで紘野くんが出てくるのさ、と問いかけても、満足できる答えは返ってきそうにない。  とりあえず、上機嫌な野次馬を最後まで上機嫌なまま地元に帰りつけるようにと、ミサキはさっさと給油を進めることにした。 「ああそういえば、さっきのフードのコ。ただの《黎》の下っ端だとさ。今後関わることもねえだろうから、その物騒なモンは、今後仕舞っておきな」 「……そ。ツマンナイの」  つまりは───手出し厳禁、との牽制。  ふふ、と冷たく笑い、ミサキはポケットに突っ込んだ手の内で折り畳みナイフをくるりと弄んだ。  これだから勘の鋭い総長はいただけない。  

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