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 生徒会棟から離れ、できるだけ足音を立てないように気をつけて食堂を目指す。  現在授業中ということもあり、極力各クラスの前を通らないルートを選んでいれば、自然と遠回りになってしまった。  当然だが、授業中なので廊下に出歩いている生徒は一人としていない。 「おや、副会長殿ではないか」 「……、二葉先輩?」  はずが、遭遇。  すらりとした躯に長い手足を美術室の後方の扉に預けて、二葉先輩がヒラヒラとこちらに向かって手を振っている。  見つかってしまった。  手招きされては仕方がないので、嫌々ながら近づく。  閉まった扉の向こうでは、他の3ーSの生徒が黙々とキャンバスに向かっている背中が見える。二葉先輩の立ち歩きは慣れているのか、わざわざ視線をやる人間もいないみたいだ。  美術担当の持田先生は、現在美術室にはいない。自習みたいなものと判断。  サボったとしても草食系教師と名高い持田が相手なら怒られることもなさそうだが、さすがエリート校の最終学年Sクラス。二葉先輩を除けばみんな意識が高い。  この人は単に飽きたんだろう。さすが『役職持ち』のフリーダム代表。 「副会長殿も授業をおサボりしておるのか? お主も悪よのう」 「残念ながら違いますよ。私のクラスは(4限は藤戸氏の授業だったから)自習(も同然)だったんです」 「そうかそうか、ならちょうどいい」 「何がちょうどいいんですか?」 「実は退屈しててのう」 「見ればわかります」 「おお、解ってくれるのか。ではちょいと退屈しのぎに我の画を見ていかぬか」  どんな退屈しのぎだよ、と言いたいのは山々だが今はさておき。  美術室のなかの様子をそっと窺う。  よくよく見ると、30人余りの三年生たちのほとんどはデッサンが終わったようで、残り少ない授業時間は自主学習に取り組んでいる。  そんななか、ここから見て奥の方、未だキャンバスに筆を走らせる生徒がひとり。会長だ。  脳裏を過ぎるのはつい数日前、俺を庇ったせいで怪我を負った会長の腕。  あのひと今、右手(ききて)、使えないんだよなあ……。  会長の右腕負傷以来、完治するまで日常生活や生徒会室での細々としたサポートは俺が率先的に請け負っている。  しかし授業時間となるとそうはいかない。  通常の座学はまだICTを活用しているので不便は少ないにしろ、体育は見学を余儀なくされるし、繊細な動きを求められる芸術科目は支障どころではないだろう。  期末考査に含まれる実技の結果は内申にも響くのに、やはりこの時期に利き腕の怪我を負わせてしまった自分が情けなくなる。  一度気にかかるともうどうしようもない。 「どうした、そんなに熱心に見おって。……何か、気になることでもあったかのう?」 「あ……いえ、、」  会長の腕の調子はどうか、俺が見てないところで無茶をしてないかと聞きかけて、口を噤む。  会長が三角巾で腕を吊ったまま登校した初日の朝は、ちょっとした騒動になった。隣を歩いていたので生徒の動揺を嫌というほど見ている。  会長様に何があったんですか、とクラスメイトにも延々質問をぶつけられて、しばらくは辟易としたものだ。  しかしこれはチームの問題。チームとはまったく関係のない相手に、俺の独断で話せることじゃない。  難しい顔のまま押し黙っていると、ふ、と笑う声が上から。  見上げた二葉先輩は容姿に違わず、内面を汲み取らせない綺麗な微笑を俺に向けていた。 「気になるなら…───こちらにおいで」  下から手を掬われ、誘うように引かれる。  それほど強い力ではなかったのに、知らず知らず、二葉先輩が放つ底なしの吸引力に吸い寄せられたかのように。  足が勝手に、前へ。  

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