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 バタン、と勢いよく閉められた扉が自分の背後から聴こえた音だと遅れて気がついた頃には、すでに自分の身体は完全に美術室の中に入っていた。  キャンバスに向かっていた3-Sの生徒が、一斉にこちらを振り返る。 「ようこそ、我がクラスへ」  さあ、と血の気が失せる俺。  ざわ、とざわめきが支配する美術室内。  や、やってしまった……。  考えごとに気を取られていたとはいえ、他の学年の授業中、しかもよりにもよって三年生のクラスに乱入してしまうなんて。  凄まじいほどのアウェイ感。  ひと学年しか違わないはずなのに、やっぱり同学年より全体的に大きいし、落ち着いてるし、心なしか圧迫感すら感じる。  知人の中に「何故お前がここにいる」的な顔があってただただ居たたまれない。  撤収だ。  二葉先輩の退屈凌ぎなんざ知るか。 「じ、授業中にすみません。失礼しま、」 「光様……!?」 「何故このクラスにっ?!」 「僕のヴィーナスが来たれり!」 「あああ今ならいいの描けそうなのに……!」 「おっと俺の筆がここに来て唸り出した」 「るせ……、集中力切れたわ」 「副会長様ぜひ二葉様と並んでポーズモデルをっ」  さっきまでシンと静まり返っていたはずが、堰を切ったように一斉にリアクションがきて普通にビビる。  中には我関せずなひと、そもそも騒ぎに気づいてすらいなさそうなひともチラホラいるけれど、それでもけっこうな人数がこちらを見ている。    生徒会役員は歓迎するのが普通、とばかりのムードに不満を持つ生徒も少なからず居るだろうに、声を大にして言われないのが返って申し訳ない。  早く退出せねば、しかし引き留める声もありどうしようもなく立ち往生していると、すべての騒音を無へ返す艶のある声が、すぐ傍で。 「……それくらいにしてやれ。二葉に引っ張り込まれた被害者だ」  ただの呟きに近い声音は音に乗せられた瞬間絶大な力を持ち、俺へと向いた好奇やその他関心は瞬く間にそれぞれの自主学習へと戻される。  中には瞬時にもう一方の存在感の塊へと視線を飛ばした生徒もいたが、賢明にも口を閉ざしていた。総じて調教済みとは。  恐ろしいほどの統率力を前に、開いた口が塞がらない。  後側扉の近く、廊下側の一番後ろ。光に透ける豪著な金髪。  クラシックテイストの上質な猫足チェアに凭れるその後ろ姿に、ぎくりと身を固くする。 「お見事。さすがは天下の風紀様々と言うておこう」 「二葉、支倉にあまり絡むな。悪影響だ」 「失敬だな、お主。我ほど良識的な生徒もそうは居まいというのに」 「自覚がないとは驚いた。そろそろ授業脱走・仕事の怠慢・度重なる校則違反でペナルティー追加するぞ」 「参りました」  すす、とイーゼルをうまく避けながらキャンバスの影に消えていった二葉先輩。わざわざ俺を引っ張り込んでおいてここで放置するのかよ。ほんと自由度高すぎる。  二葉先輩が消えた先を恨めしげに眺めていると、下からクン、とネクタイを軽く引かれた。  瞠目して、思わず後ずさる。   「っ……な、に」 「逃げるな、支倉。お前も、二葉の気紛れにわざわざ付き合ってやる必要はない」 「え、あ……、は、はい」  《月例会議》ぶりに見る志紀本先輩が、椅子に座ったまま俺のネクタイを捕らえ、こちらをまっすぐ見上げている。俺は腰を引くこともできず、ちいさく身動ぐほかなかった。  その銀灰の眼が会議でのあれこれを思い出させて、何だか気まずい。  

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