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それは禁句、的な空気が美術室を包む。
オーケー、とりあえず俺が地雷を踏んだことだけは重々理解した。誰か時間を巻き戻してくれ。
静かに席を立ち俺を見下ろした先輩がゆっくりと目を細める。
ただでさえ身長が逆転していたさっきまでの状態でも圧されていたのに、こうなると俺にはいよいよ打つ手がない。俺に尻尾でも生えていたら今頃、足のあいだにくるりとしまわれてびくびく震えていたことだろう。
なんですかその、鼠を追い詰める前の猫みたいな表情は。
純度の高い加虐が銀灰の奧に見えた気がして背筋がぶわりと総毛立つ。つまりとても怖いです。
「ま、ま、まあ、誰にでも得手不得手というものが……ありますから……」
「本音を言ってみろ」
「これだけは勝てる………あっ」
「素直で結構」
じり、と一歩距離を詰められ、こちらは三歩下がる。
周りをササッと見渡しても目が合えばすぐに逸らされた。助けてくれる神はここにいないらしい。
つーかお題にノア選んでる生徒多くね?
ノアを全校生徒に御披露目してまだ二週間足らず、今の学園の生徒にとってノアがトレンドなのもわかるけど、全員が全員同じモデルをチョイスしてしまったら余計に画力の差が素人目にも分かりやすく表れてしまってますますこの妖怪が、ちがう、俺のばか、今はどうにかして話を逸らさなければ……!
「その……たいへんこせいてきでかわいらしいと思いま」
「声が震えている」
「まっっっさかそんな。そ、それより、ねこ、お好きなんですか?」
「嫌いではないな。猫に限らず、動物全般」
へえ、そうなんだ……。
なんだかちょっと、意外だ。
会長はノアに触るまで動物と触れあう機会がなかったみたいだから、志紀本先輩も似たようなイメージで、あまり興味がないのかと思ってた。
しかしそう言われると、なんだかこの人面猫にも愛嬌があるように見えてくるというか。
控え目に言って妖怪だが、コレなら遭遇しても怖くなさそう。
けっこう。可愛い、かも……。
そう思って、思わず頬を緩めてしまったことが間違いでした。
「、--ううむ、む、なにを……っ、」
「八つ当たりだ」
「はにゃし……、~っ、っ、」
片方の手が目の前まで伸びてきて、逃げるより先に両の頬をむぎゅ、と挟まれ捕らえられた。
頬を緩めたことを咎めているのだろう。
舌足らずな自分の声にじわじわと羞恥が込み上げる。はにゃしってなんだよ俺。不覚。
別にこの画を馬鹿にして笑ったわけじゃないのに。
子猫をモデルに選んだことに和んだのと、こんな完璧人間にもニガテ分野があるのかと思ったらつい……あ、これのせい? 透けて見えてた?
「離して欲しいならはっきり、言葉で、言え」
「ん、んんう、」
「ちゅー! そのままべろちゅーお願いシャス!」
「僕の席から見たらあれはもう確実に入ってますがね!」
「ちょっとお前席代われ!」
うっせ。エリート校の最終学年はどうなってやがる。
唇がタコのように突き出さないようにと、真一文字に口をしっかり結び上目に見上げて、頬を掴む先輩の右手首を握り離すようにと目で訴える。
クス、と笑う気配。
あれおかしい、なおさら愉しそうな顔になった気が。
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