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 ヒク、と頬が引きつる。  クラス内も一瞬にして縮み上がった。  顔を上げた先、荷物を片手に気怠そうに立つ会長の姿がそこにある。自動的に思い出すのは《月例会議》でのあの緊張。あの衝突の最前線に立たされた恐怖。  最悪だ。バリケードなんて無視してさっさと逃げてれば良かった。《月例会議》の二の舞だけは死んでも御免被る。  身構える俺をよそに、俺の肩に顎を乗せた二葉先輩がいつもの調子でにっこり笑う。 「誰かと思えば神宮ではないか。どうした、仲間に入れて欲しいのか?」  あんたはどうしてそう煽るかな……! 怖いものなしか! 「馬鹿言え。時計を見ろ」  直後、授業終了のベルが鳴り響いた。  事の成り行きを見守っていた3-Sの生徒たちがチャイムを聞いてはっとなり、慌ただしく画材を片付け始める。  人と音の行き来が忙しない美術室内で、けれど意識だけは、俺を含め全員が会長と志紀本先輩の二人へと傾けられていた。  それきり口を閉ざした会長が一歩一歩、俺のすぐ横の扉へ距離を狭める。  先輩の横顔を仰ぎ見ても、その心理は一切読み取れない。  ただ、目前。すれ違う瞬間。  数秒か。いや、数瞬か。  会長と先輩の、蒼と銀灰の眼差しがかちりと交わった。そして互いを深く鋭く射抜く。  空気が急激に凍てつく感覚。  他の介入を許さない、暗く隔絶した何か。  ぞっとするほどの拮抗を、クラス全体が鋭敏に感じ取った。  視界の端で複数人が肩を跳ねさせる。  もしかすると、この二人と同じクラスで生活することは想像以上に、神経をすり減らすものなのかもしれない。  ごく、と喉を上下させ、大人しく様子を窺う。他に何もできない。逃げることも、目を逸らすことも。  そんな俺の横顔を二葉先輩が黙って観ていたことなど、気付きもせずに。  しかしそれ等は、瞬き以下の出来事。  互いが互いを視界から外した途端、何事もなかったかのように空気が融ける。会長も志紀本先輩も普段通りの雰囲気に戻り、3-Sの生徒たちは談笑に戻り。  それが返って奇妙だと、薄気味悪さを覚える俺の耳元で低く笑う声。 「……そう狼狽えるな。お主にも、いずれは慣れさせる(・・・)」  は? と問い返そうとした疑問は、会長が荷物を抱える左手で不便そうに扉をスライドさせた僅かな音に気を取られて意識から追い出された。  そもそも俺は、会長の腕の具合が気にかかったためにまんまと二葉先輩に引っ張り込まれてしまったのだと今頃思い出す。  これから昼飯だ。  抜け出すタイミングは今しかない。 「あの……授業も終わりましたし、私はこれで。長居してしまってすみません」 「……いや、いい」  こちらを見下ろす志紀本先輩に先ほど一瞬だけ垣間見えた重く暗い陰はない。元より、そういう負の感情をあまり感じさせない人ではあるけれど。 「おや、もう良いのか。引き止めぬのか。我が引き取っても良いのだな?」 「好きにしろ」 「……なら好きにするぞーい」  後ろにくっついてた二葉先輩に後押しされ、美術室から脱出成功。  二葉先輩が後ろ手に扉を閉めた直後、まさか先を行く会長を大声で呼ぶなど予想外で鼓膜に大ダメージを負ったけども。  いや、どちらにしても会長の後を追う予定ではあったから、引き留めてもらって良かったと言えば良かった。  電車ごっこのような体勢で二葉先輩に押されるがまま会長の元へ歩いていく。 「神宮ー。先に帰るとは冷たいではないか」 「人様の名を大声で呼んでんじゃねえ……つーかいつまでソイツに抱きついてやがる」 「『好きにしろ』と言われたから好きにしているまでよ」 「はあ?」  仕方なく引き返すはめになった会長に小粒程度の同情心を抱きながら、ちらりと腕の包帯を盗み見る。  

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