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 その後、追い付いたAに俺が何度「誤解です」と言おうとも理解してもらった手応えはなく、その上何故か俺の後を追いかけて来やがった藤戸氏のせいでさらに誤解が加速。  結果、目を合わすことなく逃げられてしまった。  さらに俺を追ってきた藤戸氏から「お返し」として貰ったブランデー入りの大粒チョコレートたちによってショッパーの中はもう満員。あの汚部屋に放置されていた可能性を考えると賞味期限に不安しかないので、こちらのチョコレートはリウに送り付けることにしようそうしよう。  マフィンは残すところあとひとつ。  戦利品が詰まったショッパーを片手に提げて、最後に辿り着いたのは食堂。  向かったのは正面の入口ではなく上手く隠されたスタッフ専用の裏手口。ここでは去年、短期間だが園内アルバイトで週に三度かよっていたので、勝手知ったる秘密の通路を使う。  外階段を上がると、ちょうどタバコに火をつけていたダンディなシェフと鉢合わせる。ここの料理長さんだ。  俺に気づき、苦笑いを溢して火を消した。 「おやま、珍しいお客さんだ。どうしたんだい?」 「こんにちは。黒木(くろき)さんはお手透きですか?」 「こんにちは。んんー……間が悪かったな。黒木はちょっと前にあがったばかりだ」  そっか。残念。  最近に限らず学園のなかで俺が恩を感じている大人、と考えて一番に思い浮かんだ顔だったのに。  料理長さんは困ったように頬を掻き、ポケットから携帯を取り出す。 「どうする? 呼び戻してもいいけど。きみが会いに来たときいたら、きっと上機嫌で帰ってくるぞ」 「いえ、大した用事ではありませんので……明日はご出勤されますか?」 「ああ、もちろんだよ」 「でしたら、これを渡していただけたらと」  残ったマフィン(抹茶)を渡し、そそくさと食堂を離れる。  だいぶ道草食ってしまった。  何故俺はただ菓子を配り歩いただけでこんなに疲労感を覚えているのだろう。慣れないことしたからかな。  手持ちの菓子はすべて消費(「お返し」のせいで持ち物は増えたけど)できたし良しとしよう。  気を取りなおして、生徒会室に行かねば。  そう思った矢先、マツリから着信。  自動的に頭を過ったのは、つい先ほどはじめて一対一で話した玖珂くんの存在だ。 「……もしもし」 『あーリオちゃん? 今大丈夫? 一部、運営コストに偏りがあったみたいで、至急見て貰いたい書類があんだけど』 「……マツリ」 『ん? どうしたの』 「玖珂くんって、不思議な方ですね……」 『うん……?』  率直な感想がぽろっと出てしまった。  俺が知る中じゃあの寡黙で武士然とした個性派属性を一番理解している相手がマツリしかいないので、ついつい。 『もしかして、呼人(よひと)と逢ったの?』 「ええ、先ほど偶然」 『……あいつリオちゃんに何か余計なこと言わなかった?』 「? いいえ、特には」 『ならいいけど………まあ、朴念仁に見えるけどあれは単なる口下手というか、変わってはいるけど、悪いやつではないから』 「そうですね。寡黙でクールそうに見えて、実は愛嬌がある方のように感じました」 『……。けっこう、褒めるね』 「褒め言葉というより、率直な印象を並べただけですよ?」 『そう……』  あれ、何か気に障ったかな。  寡黙もクールも愛嬌もほぼほぼ初対面の俺が持ったイメージに過ぎないから、友人のマツリ相手に話す内容じゃなかったかもしれない。  でもいいよな、「寡黙」って響き。  同じ口数が少ないタイプでもタツキの場合は喋るのが"苦手"で、紘野の場合は"面倒"。玖珂くんは彼らとはまた違って、必要最低限の言葉を選び取ってるかんじ。  何にせよ、同学年との交流が少しでも増えるのは純粋に嬉しい。 『……それより、双子が実技で特大マドレーヌ焼いたみたいだけどリオちゃんも食べる?』 「え!」 『今なら紅茶も付いてくるよ』 「いただきます!」  これは朗報だ。5日間の地獄の期末考査を頑張り抜いた俺へのご褒美に違いない。  さてさて優雅にアフタヌーン・ティーとでも洒落込みましょうかね。 『じゃあ、生徒会室でねー』 「はい。ではまた」  通話を切り、意気揚々と生徒会室を目指す。  青空を切り取る水溜まりが、草花から滴る雨粒が、陽光を弾いてキラキラと光っていた。  今朝まで降り続いていた雨は止み、日差しは強く、見渡す限り雲ひとつ見当たらない晴れ模様。  この調子で、七夕の夜を迎えられたらいい。  多くの生徒が窓際へと吊し、晴天を託した歪なてるてる坊主たちを思い出して自然と笑みを零しながら、生徒会室へ続く小道を急いだ。  そんな、とある日の放課後の話。 * * *

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