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 為すすべもなくその身体に倒れ込み、片膝が脚の間のスペースへと乗り上がる。  左胸、心臓の上へ、柔らかい金の髪が寄せられた。  大きく目を見開き、身体が硬直する。  いったい、なに、が。 「ちょ……何、」 「じっとしていろ」  腰にスルリと回された腕。たいした拘束力は伴わないのに、低められた声の見えざるチカラに抵抗を奪われてしまう。  耳が熱い。頚が熱い。全身が熱い。  手の置き場がわからず、空中でぐっと握り拳を作った。手のひらに食い込む爪の痛みが、かろうじて俺を正気に留まらせていた。  抱き締め、られている。  膝立ちになった俺の胸元に、頭を預けられている。  あの、志紀本、先輩に。 「支倉、」 「なっ……なん、ですか……」 「花火を」 「は、い」 「綺麗だと思ったことがない」 「……」  また、突拍子のないことを言う。  けれど耳をすませてしまうのは、それが先輩の本音に聞こえたから。  七夕祭りは初等部からの伝統だ。平日・土日関係なく、七月七日に必ずイベントが実施されるようにスケジュールの調整が行われている。花火が上がるのは恒例で、過去雨天だった記録は数えるほど。  この吐露を真実とするなら、毎年毎年そういう思いを抱えながら、誕生日を過ごしてきたというのだろうか。  例えば先輩のお袋さんが、昔飼っていたらしい犬が亡くなった、その日も。翌年も。翌々年も。  今まで一体どんな気持ちで、この日を。 「お前は知らなくていい」 「……」 「忘れてくれ」  今日のこの人はおかしい。絶対に。  これまでもろくに読めた試しはないけれど、今日ほど行動理由が理解不可能だった日を知らない。 「毎年毎年………眩しくて敵わない」  だから手っ取り早くこの体勢だとでも言いたいのだろうか。  人をまるでアイマスクか何かみたいに。  金髪の丸い頭頂部から一度目を逸らして、ふと、顔を上げた。  正面には大輪の夜の花。ここ以上にはないというほどの絶好の穴場。まるでこのひとが生まれたこの日を祝福するために誂えたような、特等席。  綺麗だ。  俺を含め、大多数の人間にとっても等しく。きっと今、全校生徒が同じ想いで夜空を見上げていることだろう。  ならば一人くらい、目を背けているひとがいたっていい。 「…………花火が終わる、までですよ」  意識的に肩の力を抜いた。  握りこぶしをほどいて、先輩の両肩にそっと手を置く。もう好きにしてくれ、という諦めが声に滲んでいた。  密かに笑う振動が、心臓へ伝わる。  先輩の様子がおかしいのも、自分が今、とてつもなく緊張しているのも、すべてはこの花火が調子を狂わせるせいに違いない。  この人の予測不可能な行動に振り回されることは何もこれが初めてでもない。  去年からそうだった。いつも人をからかって、人の痛いところを突くくせに、知らないところで気にかけられている。かと思ったら厳しい指導。  この人から与えられる飴と鞭に、俺はいつだって翻弄されてきた。苦手意識は出会った頃から変わらず持ち続けている。それでも。  己の中で確かに息づく憧憬と、恩義を、簡単に捨て去ることができるほど単純にはできていないから。 『支倉。また食事を抜いただろ』 『……それが何か。あなたが気にされる必要はないでしょう』 『そうやって、極力他人と壁を作って無難にやり過ごすことが愚行とは言わない。だが、利口ではないな』 『……』 『このままじゃいつか……潰れるぞ』 『………』 『なあ………お前、楽しいか?』  ───去年から世話になっている先輩の誕生日を、俺が(・・)、あんな失言で終わらせたくなかったんだ。  肩の力を抜いてしまえば、衝動的に駆けつけた一番の理由が見えてくる。  ストンと胸に落ちた納得と共に、ゆっくりと瞼を伏せた。  

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