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しばらくは、目を閉じて何千発と打ち上げられる花火の音だけを聴いていた。
問題の先輩はというと、人の左胸に頭を預けたまま微動だにしない。言葉ひとつ発しない。野郎の胸で残念でしたね、とは茶化さない方が賢明かと思われた。
花火もようやくクライマックスを迎え、次第に上がる間隔が広くなっていく。
ゆっくりと、静かな夜が戻ってくる。
───” にゃ ”
「!」
物音に過敏になっていた現在、脊髄反射が敏捷な働きをみせた。
ひとっ飛びで後ろへ飛び退く。
俺の突然の行動に反応できなかったのか、手を空中で制止させたまま目を丸くしていた志紀本先輩のレアすぎる表情を拝めなかったことなど露知らず、部屋の隅々を見渡す。
そうだ、ノア。ノアは。
観葉植物の隣、背の高いキャビネット棚の下の隙間。そこに、ひょっこりと顔を覗かせる子猫が一匹。
花火の音と光に驚いて、今の今まで隠れていたのだろう。
姿を見て、心底ほっとした。
足先から力が抜けそうになるのを、寸でで堪える。自身のことながら足取りはもうフラフラだった。
「──ノア、よかっ……」
” に ”
歩み寄ろうとした俺に気付いて、ノアは後ろ足で棚の下へと戻ってしまった。丸い頭だけを出して、こちらの様子をじっと窺っている。
そうだ。ノアは、脱走したのだ。
人間で言ったところの家出。
あの談話室(ばしょ)には居たくないという意志表示。
けれどそれなら手の届かないキャビネットの奥にでも逃げればいいものを、大きなふたつの目は俺に向けられたまま。
猫が相手から目を離さないときは、なんだっけ。……「警戒」、だったか。
「……ノア」
慎重に近づいて、床にぺたりと両膝をつく。ニメートルの距離まで来ても、ノアはまだ逃げない。
ノア、ともう一度名を呼んだ。床をトントンと指先で軽くノックする。おいで、の合図。
怖がらなくていい、こっちに、おいで。
大切なのは、自分から距離を縮めるのではなく相手からのアプローチを辛抱強く待つこと。相手の興味がこっちに向くまで、警戒心が解けるまで、気長に。それが猫との付き合い方。
先輩が後ろの方で静観している気配を感じながら、ひたすら待ちの姿勢に入る。
” なう ”
すると、棚の影からぽてぽてと白い前脚が現れた。一歩ずつ俺の方へ近づいてくる。
人差し指を軽く揺らせば興味を引かれたのか、徐々にスピードが上がり、最後は駆け込むように俺の膝へと飛び乗った。
浴衣越しに爪を立てられる。爪のケアは定期的に行っているから、痛くはない。痛くはないが、しかしこの地味な攻撃は、警戒心の現れなのだろうか。
それとも何故だか…………置いていかれたくないと主張する幼子の仕草とも、重なるような気がして。
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