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ノアの両脇の下に手を差し込んで、ゆっくりと持ち上げる。みょーん、と伸び上がった子猫はそのまま大人しく俺の腕の中に収まった。
そうして今度は胸元に、しがみつくように爪が立てられる。すりすりと頭を擦り付け、抱っこを嫌がる素振りもない。
ふと、祭りに向かう前の談話室での状態を思い返す。部屋に残されたノアのことを。
祭りが始まったのは19時。その時間帯はいつもなら、役員はすでに寮に帰って、ノアの顔を見に一度は談話室に顔を出している頃だ。
だというのに、今日に限って誰も来ない。
でも外は騒がしい。餌はある、電気はついている。
でも、誰も来ない。
「…………また棄てられたと、思ったの?」
みぃ、と鳴く声が、寂しげに響いた。
それが肯定か否定は分からない。相手は猫だ、解るはずもない。
「……馬鹿め」
ふわふわの丸い頭から背中のラインに沿って、上から下へ、壊れ物を扱うように優しく撫でる。
抱き締めたイノチはあたたかい。生きている。生きているからこそ感情がある。こころがある。
猫は気紛れな生き物で。いくら推測したところで、ノアの本当の心境なんて人間のモノサシで推し量ることはできないけれど。それでも。
「誰も置いていきやしねえよ……」
こいつにとっての幸せは、なんだろうか。
ほんの一ヶ月前、まだまだ今よりチビだった時に捨てられた可能性が高いこいつ。
ペットは飼い主を選べない。
何かを訴えたところで、ヒトの耳には届かない。
動物は環境の変化に敏感だと聞く。例えば立食パーティで突然知らない場所に連れてこられたとき。今日、ひとりぼっちで取り残されたとき。様子がおかしくなった。それが、こいつなりの主張だったとしたら。
こいつの為に、俺は何をしてやれるだろう。
エサを与える、住む場所を与える、それ以上の。飼い主の一人としての、責務は。
” …にーぃ “
猫の気持ちを正確に理解することは到底できなくとも、努力を惜しむことはイコールではない。
歩調を合わせるのはゆっくりでいい。
ノアにとっての学園が、生徒会が、何にも脅かされない安心できる場所になるといい。
短冊に記す願いごとをひとつ、打ち立てる。
腕の中、ぺろりと指先に感じた柔らかい感触を、こちらにすり寄るあたたかさを、ひどく心地良く感じて。
このまま無事お持ち帰りしてまおうと意気揚々足に力を入れたところで、カクンと身体の力が抜けた。
そういえば何だか足の感覚がほとんどないことを後れ馳せながら自覚し、思考の鈍さは結局自覚できないまま、無意識に瞼を下ろした俺の肩を支える大きな手のひらの存在を、ぼんやりと認識して。
───それから先のことは、よく覚えていない。
* * *
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