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猫を抱いたままぐらりと傾いた身体を目にし、風紀委員長は咄嗟にその肩を抱き止めた。
そのまま彼の方にしなだれかかる後輩の様子を訝しみ、顔を覗き込めば、伏せられた瞼と小さな寝息に気付く。これは。
「寝た……のか?」
返答はない。力が抜けきった後輩の腕の中で、猫が戸惑ったように鳴いて呼び掛けては肉球でぽんぽん身体を叩いている。
今は寝かせておいてやれ。
そう伝えるように肩を支えていない方の手でまるい頭を優しく撫で、膝の上から子猫をそっと降ろす。
警戒心の高さに定評があるこの後輩の、くったり寝こけた様子を見てかすかに微笑った彼は、その肩とその膝裏にそっと手を差し込んだ。
ふわりと浮いた身体。
ゆらりゆらりと、振り子のように揺れる素足。
これでもしも意識があったなら降ろせ降ろせと喚いたことだろうが、深い眠りに沈み込む寝顔は安らかなままで、起きる気配はない。
それを少し、彼は残念に思った。生意気で反抗的な後輩の姿ばかりを見てきた彼の目には、己の腕の中で大人しく身を預ける現在の様子が物珍しく映ったのだ。
さてこれを何処へ運び込むべきかと数瞬考えたのち、ロビーを抜け、応接室を抜け、ワークスペースを抜け、風紀代表の執務室からさらに奥まった場所へと迷うことなくその足は動かされる。
そこは風紀委員室の最奥、彼自身の仮眠室。他人はおろか、他の風紀委員や旧知の仲である風紀副委員長でさえ立ち入らない領域へと。
初めて入室を許したのが、まさか、生徒会の人間だとは。
「ああ……お前もいたんだったな」
” にゃーん ”
どこに連れて行くの、とでも言いたげな。迷い子のような鳴き声が足元から。
立ち止まった彼の足元をぐるぐると回る子猫。主を横取りされたと思って、腹を立てているのだろうか。
これには彼も参ったようで、セキュリティ認証を終えて扉を開いた先、真っ先に隙間から滑り込んだ子猫に苦笑しながらも、扉をパタリと閉ざす。
入った瞬間、ドォン、と。
大きな窓の外から迸る、赤々とした大輪の花。
打ち上げ花火の第二陣が始まったらしい。
天へ天へと駆け上がる一条の光源が、ひゅうと唸り、途切れ、そして鮮やかに夜を彩る。昇っては咲き、昇っては咲く火花が網膜を焼き、鼓膜を揺るがし、空気を通して肌を震わせる。
───この景色を素直に「美しい」と感嘆できるほど、彼の感情はそう容易く動くように出来てはいない。
視覚で、聴覚で、身体で感じ取ったことをただ機械的に理解するだけ。学園の生徒が楽しんでいるからこそ、無意味ではないと思うだけの行事。
(よりにもよって───どうして今日、此処へ来た)
無防備に眠る後輩を複雑な表情で見下ろし、慎重に抱え直す。
イレギュラーは、この部屋に入れたことだけに限らない。
七月七日のこの日、この花火の時間に、誰かと自分が共にあることを許しあまつさえ誰かを自ら望んで懐に招いたのも、これがはじめてだった。
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