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「……安心しろ。お前が想像したようなコトはしてない」 『……』 「迷子を二匹ほど預かっている。……が、今は寝かせてやれ。どちらも疲れている」 『……ノア、のことは、……ありがと』 「礼には及ばない」  “ にぃ “  この手の話題でからかうには相手が良くないと判断して、話半ばで無理矢理切り上げた。ちょうど通話を切ったタイミングで、子猫がベッドへしなやかに飛び乗る。迷子1も迷子2も、客人のくせになかなか図太い。  子猫はシーツの隙間に丸い頭を潜り込ませると、後輩の足元でせっせと自分の寝床を整え始めた。じきに手足を伸ばして横になり、健やかな眠りにつく。  己を迎えに来てくれる存在は、寂しがり屋な子猫に大層な安心感と帰属意識を齎したのかもしれない。 (………ようやく、静かになったな)  サァっ、と風の音が聞こえる。  静かな夜が再び訪れる。  窓を開けた。二度目の花火も途絶え、夏の短夜の涼しい風に細い金糸髪がさらりと揺れる。  しかしはたと、僅かに瞠目。 (--『涼しい』……?)  気温も風量も、湿度も、室内は花火の前とたいして変わっていない。  では先ほどまでと何が違うのか。  浮上した疑問に導かれるまま、彼は手の甲を頬へと触れさせる。相も変わらず冷たい手。だからこそ気付いた、己の身体のささいな変化。 (……熱い)  花火は例年と変わらず、彼を高揚させたわけではなく。花火を喜ぶ生徒たちに水を差すまいと、毎年風紀委員室へ身を落ち着けるのは例年通りで。  ───ただ、今年は少しだけ、状況が違っていただけのこと。  ───毎年無感動に眺める光源が、誰かの紅い浴衣で隠されていただけのこと。  ───耳に届いて鼓膜を震わせるだけの開花の音が、誰かの声と心音で上手く聞き取れなかっただけのこと。  ───空気が揺れる振動ではなく、直接肌に触れた温かさが、この手にこの身に何よりも鮮烈に居座っている、だけの、  ───『花火が終わる、までですよ』  ひとつ、瞬き。  長い睫毛がゆっくりと伏せられ、そして夜の空気を再び押し上げる。  彼にしては珍しく、無防備で幼い表情。数瞬の間に跡形もなく消え去ったその顔を、目撃できた幸運な者はいない。  ただ、月明かりだけが。  ほんの僅かに紅潮した目許を、ささやかに照らす。  しかし、二度。  瞬きを終える、頃には。  彼は、今夜の己の感情の動きも、揺らぎも、感傷も、熱も、ひとかけらも残すことなく胸の内から切り棄てた。  その衝動に抗うことなく「名前」を付けることができるほど、彼の感情はそう容易く動くように出来てはいない。  

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