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「仕方あるまい、不本意ながらお望み通り帰るとしよう」
「やっと折れて戴けましたか」
「むむ……お主には『二葉先輩と密室で二人きりなんてどきどきしちゃうー』くらいの可愛げが時には必要だと思うぞ」
「あ、ハイ。参考にシマス」
「白けるな、詰まらん」
二葉先輩らしからぬ問題提起をしたかと思えば、今度はバ会長みたいな笑えないジョークを抜かす。
いつも何かと捉えどころがない先輩ではあるけれど、今日は輪をかけてそうだ。相手をする側の苦労もわかってほしい。
というか俺に可愛げを求めてどうする。そんなもん元から備わってねえわ。
「くっ、足が痺れておる。すまぬが引っ張っておくれ」
「……何をやっているんですか」
こちらへゆらりと伸ばされた右手。どうやら引っ張り起こせとのご指示らしい。
くっ、じゃねえよ。そんなに長いこと座ってたわけじゃあるまいし。
畳の部屋なので一旦校内用の靴を脱ぎ、周囲に散らばる半紙や座布団などを踏まぬようにと避けながら部屋の中心部へと足を進めた。
それにしても散らかっている。使用頻度が少なかろうと学園内はどの教室もだいたい片付いているのに、ここの雑然とした様相はなんだろう。
もしかして二葉先輩、けっこうな頻度でここをサボり場に選んでいるのでは?
御守り袋が詰められた箱を一旦小脇に抱え、空けた右手を差し出した。
しかしどういうつもりか、二葉先輩の手は俺のてのひらを通り過ぎ、手首をしっかりと握り込まれる。
こちらも手首を掴み、ぐ、と引っ張ってみた。しかし二葉先輩の方に起き上がる気配がない。
「……二葉先輩? どうされました?」
あんたが引っ張れと言ったんだろう、と非難を込めて声をかけてみたものの、俯いたままで、応答がない。
次は駄々っ子のまねごとか。まったく。
時間が押していることもあり、仕方なしに膝を折って相手と目線を合わせる。
そうして見えた表情に、違和感を覚えた。
「二葉先輩、あの、……?」
………笑って、 る───?
そこから先はあっという間だった。
いつの間にか硬く握り込まれていた右手首が強い力で斜め前に引かれて、踏ん張ろうとした片足を掬われて。ろくな受け身も取れず、畳の上へと倒れ込んだ。
俺の手から離れた箱が横倒しになり、そこから飛び出した鮮やかな藤色が畳の上に散乱する。
顔から突っ込まぬようにとなんとか空いた方の肘を畳に突くことで衝突は免れたものの、背中側に気配を感じてハッと息を呑んだ。
次いで、覆いかぶさる影。
部屋に差し込む夕陽さえも視界から切り取られる。
条件反射的に腰を捻って背後を振り返ると同時に、強い力をもって仰向けに反転させられた。無理な体勢の転換により生じた身体の痛み。
恐る恐る、眼を開ける。
「……、……足の痺れはもう宜しいのですか?」
「おや、この状況下で余裕か? もっと、抵抗はせぬのか」
「抵抗も何も、ただの悪ふざけに付き合っている暇はありません。退いて下さい」
視界に入るのはやたら整った男の顔と、俺を両サイドから囲う腕と、その背後には高い天井と。
急に酸素が薄くなったわけでもないのに、喉が勝手に息苦しさを覚える。
平静で、いなければ。
どうせただ俺の様子を伺って、からかおうとしてるだけだ。平然と受け流さなければ。
己に言い聞かせ、顎を上げて二葉先輩の目を敢えて真っ直ぐ見据える。
……この体勢、落ち着かない。本来、見上げる側じゃないのに。
一体何のつもりだ。問いに答えず帰宅を強制したから仕返ししてやろうって魂胆か?
「可笑しなコトを言うなあ、副会長殿」
二葉先輩の双眸に灯る爛々とした光が、陰影の中でもはっきりと見えた。
ふ、と低く嗤う声がすぐ眼前。
薄い唇がチェシャ猫のようにゆらりと酷薄に弧を描く。
「ただの悪ふざけでも人は抱けるぞ」
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