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「…………冗談、でしょう?」  引き攣る自分の表情が手に取るように分かる。  まさか。  いつもの、この人なりのジョークだ。  数秒後には「さすがのお主も驚いたか」なんておどけたように笑って、俺が知ってる雰囲気に戻るはず。  いっそ祈るように二葉先輩をまじまじと見つめ返しても、そこには普段と何ら変わりない、喰えない微笑が浮かんでいるだけ。 「訊き方を変えようか、副会長殿」  ふわ、と頬を何かが掠めた。  俺の頬にかかった横髪を二葉先輩の指先が軽く払いのけたのだと、数秒遅れて気づく。  その、繊細な指使いがまるで。  喉がからりと渇き、呼吸が知らず知らず浅くなっていく。衝撃から未だ回復できない役立たずな大脳より早く、身体はこの異常事態を正しく理解していた。  筋肉が緊張する。血管が脈を打つ。  肌が、全身が、今まさに、危険を感じ取っている。 「お主が先ほど聞き流そうとした、学園の異常な在り方について鑑みた上で、今現在、同性に押し倒されている現状(・・)…────この状況を、どう捉えている?」 「……、悪ふざけで片付けるには、些か、質が悪いかと」 「それは単なるお主の、お主による良識に過ぎぬよ。そして残念ながら、この学園では(まか)り通らない」  俺の横髪を払った二葉先輩の指先が、今度は俺の頬に触れた。  羽のような軽いタッチで指先がするすると顎の稜線をなぞり、ゆるやかに往復する。指が通った傍から肌がぶわりと粟立ち、身体がじわじわと硬直していく。  小動物でも愛でるかのような優しい指とは裏腹に、俺を見下ろす一対の双眸に潜むのは捕食者の愉悦。  逃げなければ。この(ひと)から。  ようやくこの異常事態に追い付いた脳が警鐘を鳴らす。 「よくもまあ、人通りが少ないこの場に、学園の副会長ともあろう立場の人間が、たった一人で訪れられたものよ。学園生の8割にものぼる両性愛者のなかに、我が含まれておらぬとでも?」 「……、言葉を返すようですが、その条件ならあなただって似たようなものでしょう。保健委員長が、このような場所にたった一人きり。私とそれほど違いがありますか」  動揺を気取られないよう精一杯強がって、真っ直ぐ相手を見据える。  その裏で、この窮地から脱却できる糸口を探した。  さっき、二葉先輩との会話を雑に切り上げようとしたみたいに、いい加減な対応はもうできない。また問答をはぐらかしたり、無理に押し退けようとするものならば、状況は悪化の一途を辿るだろう。  そうだ、じきに始まる風紀の巡回。  それまで時間を稼ぐのが一番確実だ。さすがのこの人でも、風紀の存在は無視できないはず。  そう自分に言い聞かせる一方、胸騒ぎは押し寄せるばかりで一向に引いてくれない。  解放されたい、ここにいたくない。  冷静になろうと努める理性に反して、どうしようもない拒絶反応が声高に意思を主張する。 「違うな。立ち位置が違う。ものの見方が違う。有する権力が違う」  『権力』、という単語が、やけにはっきり耳に残った。  じゅうぶん理解していることだった。  似たような状況・似たような立場だったとしても、富裕層の者とそうでない者を比べれば後者が圧倒的に危険な目に遇いやすいことくらい、言われずとも承知していることだった。  けれど、どうしてだろう。  尊大な態度でこれを言っているならまだしも、二葉先輩の言葉の節々には一切の驕りが見られない。至極当然とばかりのその眼差しに、射抜かれていることを耐えがたいと思う。  有り体に言うと、(ひる)んだ。  反駁(はんばく)すらできなくなって、ついには顔ごと目線を反らす。 「舐められたものだな。この状況で余所見とは」 「───…な、」  その対応が良くなかったと知る頃には、他人の体温はすぐ傍まで迫っていた。  耳殻に、呼気が触れる。  

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