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第3話
希望は目を見開いて、ライを見つめる。
前回見落とした違和感と、先ほど振り払ってしまった違和感を思い出して、全身から冷や汗が噴き出てきた。
見上げる自分と、見下ろすライ。
床に正座する自分と、ソファに悠々と座っているライ。
教えを乞う者と教える者。
上と下。
いつの間にか上下関係を見せつけられている。
目を見開いて固まっている希望に、ライは笑みを深くした。
「どうした?」
「いや、あの……」
「さっきまで、可愛くおねだりしてただろ? 甘ったれた声出して、身体擦り寄せて」
「うぅっ……それは……」
「今さら恥ずかしがってんの? 大丈夫だよ。ほら、ちゃんと言ってごらん」
「……っ」
希望は思わず俯いて、ぎゅっと唇を結んだ。
やばい。
これは、なんかすっごく、ヤバイ気がする。
なんで俺床に座っちゃったんだろう? なんで正座しちゃったんだろう?
希望は俯いたまま、動けなくなった。
ライに勉強を教えてほしい、あわよくばそれを口実にイチャイチャラブラブして甘えたいなどという不純かつ思春期らしい単純な動機でライに「おねがい♡」をしたのは確かだ。
それなのに、いつの間にか服従を要求されている。
希望が黙って俯いている間も、ライの視線は希望へ向けられていた。鋭さよりも、じっくりと観察するような眼差しは希望の背中に重くのし掛かり、絡み付いている。
「……そういえばさぁ」
不意にライが希望から視線を離して口を開いた。
希望はビクッと肩を震わせる。恐る恐るライを見上げると、目が合ってしまう。
「この間のご褒美、まだだったよな」
希望はきょとん、としてライを見つめた。
「ご褒美? ……おれに?」
「なんでだよ」
「え?」
ライが可笑しそうに笑うので、希望はますます首を傾げた。
ライは足を組んでいた状態から下ろして、希望を覗き込むように前に身体を傾ける。
「この点数は誰のおかげ?」
「え?」
「だぁれ?」
ライはテーブルにある、模試の結果を指差した。
質問の意味を理解できなくて、希望が首を傾げていると、人差し指でトントン、とゆっくり叩いて示す。希望をじっと見つめ、優しく諭すように微笑んだ。
希望は少し考えて、恐る恐る答える。
「……ライさん…です……」
「そうだよな」
希望が答えにたどり着いたことを誉めるように、ライは笑った。
「じゃあ俺にご褒美くれる?」
……んん??
希望は、ライが楽しそうに笑っているのを見上げていた。
ライさんにご褒美、俺ではなくライさんにご褒美? と頭の中で反芻して、少し考える。しかし、考えれば考えるほど、じわじわと鼓動が早くなっていった。
……や、やばい。
ライが自分に何を要求しているのか気付いて、希望は青ざめた。何とか逃れたい、逃げなきゃ、と必死に考える。
きゅっ、と唇を噛みしめ、ライの視線からだけでも逃れるように、目を逸らす。
「じゅ、授業料……とか……でしょうか……?」
平静を装うはずが、動揺のあまり声が震えてしまった。
ライは目を細めて、うっすらと微笑んだままだ。
こわい。さっきからなんで笑ってるんだこの人は。
「……希望ちゃんはさぁ」
ライの声に、希望はビクッと肩を震わせた。名前を呼ぶことも珍しいのに、やたら甘い声でちゃん付けなんて、と震えている。
ライは薄ら笑いを浮かべているのに、深くて暗い瞳で希望を捕らえて離さなかった。
「俺のこと、金で雇えるつもりなの?」
ライの穏やかすぎる声に、身体がビクッと勝手に震えて、冷や汗が止まらない。希望は目を合わせることもできずにただ震えていた。
「“報酬“はいらない。俺は可愛いお前が困ってたから手を貸しただけ」
報酬はいらない。
お前のため。
希望は何とか逃げ道を探していたが、ライの言葉が一つ一つ、丁寧に逃げ道は塞いでいく。
「賢い希望ちゃんなら、何故だか、わかるよなぁ?」
「ひっ……」
ライが希望の頬にそっと触れる。優しくも反抗を許さない強さで、ライの方へと向けられた。ライは目を合わせると、楽しそうに、愛おしそうに目を細める。
「愛してるから」
がしゃん、と最後の逃げ道に鋼鉄の扉が降りて、閉ざされた。
「だから、なんでも『おねがい』していいよ。ぜーんぶ叶えてあげる。
……でも、ちょーっとだけ、ご褒美、ほしいなぁ?」
ライが楽しげに希望を見つめる。ライの手は、すでに希望の頬から離れているのに、もはや目を逸らすことはできなかった。
こ、こんなカツアゲみたいなご褒美の要求ある……?
一つ一つ逃げ道を丹念に塞がれて、じわじわと迫り、今目の前に突きつけられているのは、唯一の道だ。もう他にどこにも進めないようにされてしまった。
愛してるから、なんて。
いつも愛というものを理解できずに気味悪がっているくせに、こんな時だけ愛を盾にしやがって!
希望はあまりの理不尽に抗議したかった。
けれど、希望もまた、ライが恋人であることに甘えたのだ。
ライさんならおねがいを聞いてくれる。
何とかしてくれる。
恋人だから。ライさんだから。
実際その通り、希望は模試で望んだ結果を得ることができた。
だから、ライを責めることもできないし、理不尽な要求を突っぱねることもできない。俺のため、愛してるから、なんて言われたら、もう逃げられない。
それが希望を思い通りにしたいが為の嘘だったとしても、希望は抗えなかった。
最初からわかっていたことだ。ライからは逃げきれない。
「……何をすればいいの……?」
希望は最後の意地でライに尋ねた。何を要求しているのかなんて、わかっている。けれど自分から言うのは恥ずかしかった。
ライはじっと希望をじっと見つめて、笑った。ゆっくりと希望に手を伸ばすと少し希望が震える。
ライの手が希望の首筋に触れて、首から胸へ、ゆっくり手を這わせる。
「お前が俺に捧げられるのって、一つしかなくない?」
そう言って、笑った。
ひぃん……!
えっちな肉体労働を強要されている……! 体で払えってやつだ……!
希望は小兎のようにふるふると震えた。恥ずかしさで耳まで赤くなる。瞳はいつもよりも潤んで、不安そうに揺らめく。これからのことを考えると、とても平静ではいられなかった。何をされるのかわからないが、何をされても逃げられない、ということが恐ろしかった。
「きょ、きょうも勉強したいんですけど……」
「すれば?」
「え? で、でも……」
激しく蹂躙されたら肝心の勉強ができない、と不安を漏らせばライはなんてことないように笑っていた。ずっと楽しそうで、上機嫌だ。
「俺はなにもしないから。お前が動いたら?」
「お、おれが……?」
「そうだよ。お前が主導でいいよ。そしたらすぐ終わるだろ?」
やたら楽しそうなライの、珍しく弾んだ声に、希望はまたぎゅっと唇を結んだ。
けれど希望は意を決して、ライの足元に近寄った。
長い足の間に入って、ライを見上げる。
「……俺がするって……その……ぜ、ぜんぶ?」
「そうだよ」
ぜんぶやるということは、あれもそれも、恥ずかしいことぜんぶだ。されるのも恥ずかしいのに、それを自らしなければいけない。自分が抱かれるための準備を、自分がするのだ。
そう考えると恥ずかしさで顔が燃えそうだ。
瞳を潤ませて震えていると、ライが優しく髪を撫でた。
「頑張って、希望ちゃん」
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