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第5話
小鳥遊希望は比較的賢い子どもとして生きてきた。
両親が海外を飛び回る仕事なので、一人でも立派に、心配かけないようにと、高校生にしては自立した生活を送っている。
大抵のトラブルは聡明さと、育ちの良さと歌の才能、顔の可愛さ、魅力という名の暴力で捻じ伏せてきた。
しかし、希望は恋する高校生でもある。
誰かを愛したら、惜しみなく愛情を注いでしまう、愛の戦士だった。
恋は盲目という言葉を、体現しているような男だ。
本人も自覚した上で、心には抗えまい、と突き進んでいる。
そんな希望は、「年上の恋人に勉強教えてもらうのってなんかイイな♡」等という高校生らしく不純かつ邪な気持ちで、うっかり悪魔と取引してしまった。
ちなみに、その悪魔というのは、希望のマイスイートハニーこと、ライである。
***
終了のアラームが鳴り響き、希望はひぃっ! と悲鳴を上げる。
せめてこの問題だけでも! と選択肢の一つを記入しようとしたところで、解答用紙はあっさりと攫われてしまった。
希望はまた悲鳴を上げた。
「ああ!! まって! 答え! あと一個だけ!」
「時間切れだっつってんだろ」
希望から解答用紙を取り上げて、ライはさっさと赤いペンを持った。
テーブルの向かい側に座ったライは、問題用紙と見比べて、さらさらと淀みなく、答えを合わせていく。
希望はその様子を、両手をぎゅっと組んで、祈るような気持ちで見つめていた。
悪魔(みたいなライ)と取引してしまった時は心底己の迂闊さを恨んだ希望だったが、大人しく勉強を教わっている。
今解いた試験の問題も、ライが希望のために用意したものだ。
問題は希望の得意不得意、志望校の出題傾向等を反映させているらしい。その上、終わった後もライの解説付きなので、信じられないほど勉強が捗った。
最初に見た時は「え、真面目じゃん」と驚いてしまった。今は、なんて失礼なことを考えてしまったんだと、深く反省している。
最初にご褒美要求の脅迫を受けてしまい、今後どうなるのか不安でしかたなかったが、ライはしっかり教えてくれるつもりらしい。
希望は少しだけ安心した。ライさんって意外と真面目だなぁ、なんて思った。
しかし、安心したのも最初だけで、今の希望は別の意味で恐怖を抱いている。
ライの作る問題は、希望が必死に勉強して、なんとか合格点を超えるかどうかという絶妙なラインで作られていた。時間設定も、一瞬たりとも気が抜けないようにぎりぎりを設定されている。
毎日ライに会うわけではないので、ライから出された課題をクリアしていれば合格点を取れるが、それも毎回必死だった。
今も何とか全問解いておきたかったのに、時間切れで叶わなかった。
だから今、希望はじっとライの手元を見つめて祈っている。
答え合わせが終わって、ライが希望の方へ解答用紙を差し出した。
いくつかバツがついてしまっているが、書かれた点数はなんとか合格点の八〇点を超えている。
希望はほっとしてライを見た。しかし、ライが笑っているので、背中がひんやり冷たくなる。
「な、なに? だいじょうぶなんでしょ?」
「答えは合ってたよ。合格ラインぎりぎりだけど。頑張ったな」
「う、うん!」
ライが笑っているので怯えていたが、褒められたことで希望の表情が明るくなる。希望の笑顔にライも目を細めた。
「でも、ここから全部答えズレてるからダメー」
「え?!」
ライは解答欄の、三分の一から下に斜線を引いた。ざっくりと赤い線が入って、点数も訂正されてしまう。
合格ラインを下回り、希望は慌てた。確かにテスト中、ライが途中から圧力をかけてきたから焦っていた気がする。
「こ、答え合ってたんだからいいでしょ!? 本番じゃないもん! 見逃してよぉ!」
「なんで練習でミスったところ、本番ではできるって思えんの?」
「うっ……」
希望が言葉に詰まると、ライは解答用紙を希望の前でひらひらと揺らした。
「試験って、学力測るためのもんだろ? この紙切れ一枚で自分の学力の程度伝えるにはどうするか。答えを正しく、正しい枠に記入すること。それだけ。本当はわかってた、答えは合ってた、とかどうでもいいんだよ。書くとこ違ってたら伝わんねぇの。答え間違えてる奴と同じ。わかる?」
「ぐっ……!」
くそ! 正論!! ライさんのくせに!!
希望は奥歯を噛みしめ、拳を強く握った。けれど反論はできなかった。
悔しい。
答えがわかっていながら、解答欄を間違えてしまったことももちろん悔しい。
けれど、それよりなにより、日頃から人の道を外れたことばかりしている悪魔に正論で叩きのめされたことが悔しくて仕方なかった。
「わかった?」
「……うん」
「不合格だからペナルティーな。下らねぇミスすんなよ」
「えぇ!?」
「それに口答えした分もお仕置き」
「ひぇっ……!」
向かい合わせで座っていたライが立ち上がって、希望はびくっと身体を震わせた。
ペナルティー、お仕置き。
何をされるんだろう、いやきっと、酷くえっちなことに違いない、と考えてふるふると震えながら、涙目でライを見上げる。
ライは希望を見て、少し考えるような顔をした。
「……といっても」
「?」
「お仕置きなんてしたことないから、何していいかわかんねぇな」
「……」
こいつ、どの口で言ってんだ?
怯えていたはずの希望は、じっとりした眼差しをライに向けた。
日頃のあれやそれ、今までの数々の自分への酷い仕打ちはなんだというのか。
というか、何のつもりだったのか。
ライは希望の前まで来ると、じっと希望の顔を覗き込んだ。
「とりあえず、お前の嫌がることすればいっかぁ」
「……」
普段から俺の嫌がることばっかりしてくれるくせに、何をいまさら、と希望は強く睨む。
不服そうな希望など見えていないように、ライは優しく、希望の頬を撫でた。
「可愛いお前にお仕置きなんて、心が痛むよ」
酷く優しい声に、希望は眩暈がした。
よく心にもないこと言えるなぁ。
こんなに楽しそうな顔してるくせに。
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