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episode4. 癪香(9)

 寝酒を煽り、煙草で気持ちをなだめても――何をしても落ち着かない。  意味も無く掻き毟られるような感覚が止んではくれない。 『一ヶ月だぞ! もう……一ヶ月も放っとかれてんだぞ! 分かってくれよ……気が狂いそうなんだよ俺……』 『……』 『……会う度にお前から抱き付いて来て、あの頃はお前、すげえ可愛かったのによ……』 『……ンなの、ガキの頃のことじゃねえか』 『何、お前――もしかして恋人でも……できたとか?』 『そんなもん、いねえよ……』 『じゃあ何? 好きな子でもいんの?』 『――ああ』  遼二というあの男の、あの駐車場で目にした一部始終の仕草と言葉が、事細かに鮮明に浮かんでは消え、また浮かんでは消え、胸を掻き乱す。それだけには留まらず、想像もし得なかった色っぽい表情が脳裏にチラついては、時折ゾワリと背筋を撫でるような欲情にも似た感覚に翻弄される。  晩熟なのかと思いきや、男に抱き付かれても顔色一つ変えずに上手くなだめたり、何よりも『好きな相手がいるのか』と訊かれて、『いる』と答えたその時の様を思い浮かべれば、気持ちは動揺し、胸が鷲掴みされたように苦しくなる。  予期もしなかった感情があふれ出し、うずき出し、コントロールのきかないままに、それらは次第に苛立ちへと変わっていった。 「……ッ! っくしょう……! 何で……俺があんなヤツのことで……」  そう、どうしてこうまで気持ちが乱されるのか――  まさか遼二というあの男に惚れてしまったとでもいうわけか。 「……は、冗談じゃねえぜ。あんな……マセガキ……なんかに……」  この俺が……! そう――あんなヤツ……なん……か――  ゲイアダルト界でも絶大の人気を誇るこの俺が、あんな素人のガキに惚れるだなんて有り得ない。  そう思えども、だがそれとは裏腹に、癪に障るほどに自覚できてしまう――胸が鷲掴みにされていくその感覚が怨めしい。  あの男を叩きのめしてやりたい。  初めて会った時に、自身の艶めかしい演技を見てレフ板を引っくり返すくらい動揺していた彼に、あの時と同じ焦った表情をさせてみたい。例えそれが”演技”というフィルターを通したものでも構わない。  もう一度、いや、何度でも――!  俺の演技であいつを翻弄してやりたい。  ジワジワと浸食するように熱を増す、どうしようもない欲望に翻弄されているのは己自身の方なのか――  灯ってしまった恋情を認められないままで、けれどもくすぶる想いは到底とめられず――それらは癪とも切ないともつかない苦しい感情を焚き付けてくる。紫月は燃え上がってしまう寸前の、途方にくれたような感情を持て余し始めていた。 - FIN - 次、エピソード「誘惑」です。

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