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episode6. 飛べない蝶(9)
その後、夫妻に代わってリョウのリードを預かりながら、彼らを自宅まで送り届けると、夫妻は本当に助かったと言って喜んでくれた。是非ともお茶をと勧められたが、もうすっかり陽も沈みきってしまったことだしと、気持ちだけもらうことにして遼二と紫月は夫妻の家を後にした。
宵闇が降りる中、海辺へと向かう小道で二人、肩を寄せ合いゆっくりと歩く。
「今日はマジ楽しかった。ありがとな、遼二」
「いえ。お陰様で俺もいい写真が撮れました」
遼二は思い掛けず撮ることのできた紫月の愛しいショットに大満足で高揚冷めやらぬだった。密かに引き伸ばして、部屋に飾ろうと心に決める。
「あのワンコ、お前とおんなじ名前だったからさ。すっげ親近感湧いちまった」
至極楽しげに紫月が言う。
「ええ、俺も驚きました」
「あいつもなかなかにハンサムなワンコだったな。思わず抱きついちまおうかと思っちゃったぜ」
照れ笑いでごまかしながらも、チラリと上目遣いで笑った紫月の笑顔が堪らなく愛おしかった。
――そっと、遼二が紫月の手を取り、繋いだ。
「すみません。ちょっとこうして歩きたくて……」
そう言う彼の頬にはうっすらと朱が差している。電灯も何もない夜空の下でも紫月にはそれが分かった。
「ん、俺も――」
繋がれた指にキュッと力を込めて握り返した。
「――紫月さん」
「ん?」
「好きです」
それは、初めて聞く”言葉”という形での遼二からの告白だった。
「ん。さんきゅ、遼二」
「いえ。本当に……大好きです!」
多分、そう、出逢ったその瞬間から――
今度は言葉にせずともその気持ちが伝わったのだろう、紫月は思いきりはにかんだ笑顔で、
「俺も同じ」
そう言って頬を染める。
そうだ。俺ら、きっと出逢った時から魅かれ合ってた!
「な、遼二。俺さ、今日はまだ……その、帰りたくねえ……かな」
このまま帰るのはしのびない。もっと一緒に居たい。放れたくない。
「はい――、俺も帰したくありません。帰り道にちょっと雰囲気のいいカフェがあるんで、何か食っていきましょう」
「……ん、いいな」
紫月としてはそういう意味で言ったわけでもあるようなないようななのだが、生真面目な遼二のことだ、食事に誘ってくれるだけでも精一杯なのだろう。
本当はこのまま彼の部屋へ帰って、もっと深く結ばれてしまいたい――そんな想いを込めて言ったものの、あまり急いで先を望むのもガッツき過ぎというものか。紫月は微苦笑ながらも、今夜は共にカフェに寄れるだけで満足しなければと自分に言い聞かせた。
ところが――である。その直後に遼二から飛び出した言葉に唖然とさせられるハメとなった。
「メシ食ったら、夜景が綺麗なブリッジがあるんでそこに寄りましょう。家の近くまで帰ったらもう一度軽くお茶をして……何なら……」
「……何なら、何?」
「何なら……ずっと一緒にいたいです」
「ずっと……って、お前それ……」
「ずっとです。このままずっと……俺はずっとあなたと一緒に生きていきたいです」
早急で大胆過ぎる台詞だが、遼二は至って真剣な眼差しで当然のように言ってのける。そんな彼を前に、紫月は思わずプッと噴き出してしまった。
「……ッ、お前ってホント……」
「……え?」
「いや――、いい」
そういえば以前に氷川と中津川が彼のことを晩熟でウブだと言っていたのを思い出した。
「んー、晩熟ってよりもド直球?」
「え……晩熟? ……って、何スか、それ?」
「んー、何でもね!」
「えー!? 紫月さん、ひどいッス! 教えてくださいよ!」
「教えね!」
紫月は隣を歩く大きな肩に頬を寄せながらしっかりとその逞しい腕に抱き付いては、クスクスと一人幸せな妄想に浸るのだった。その表情は心からの笑顔で満たされていた。
飛び方を忘れてしまった蝶のようだと思っていた。今まではゲイアダルト界のトップモデルといわれ、自由気ままに花から花へと移り気に羽ばたき、そこに群生するすべての植物の中で君臨していたはずが、急に羽を失ってしまったように思えて落ち込みもした。
だが、そうではなかったのだ。
野に咲くすべての花々から愛される蝶でなくていい。今、自分の側に居るこの逞しく温かい遼二という花の周囲で、彼の為にだけ飛んでいられたならそれが何よりの幸せだ。そんなふうに思わせてくれる唯一の存在に出会えたことに、この上ない幸福を感じていた。二度と――この腕を放したくはない、紫月はそう思ってやまなかった。
一之宮紫月がゲイアダルト誌のモデルを引退すると発表したのは、それから間もなくして後――真夏の太陽がやわらかな秋の陽射しへと移りゆく季節のことだった。
- FIN -
※次エピソード「蜘蛛からの挑戦状」です。
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