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episode6. 飛べない蝶(1)
その驚くべき話を聞いたのは、これから撮影に出掛けんと支度をしていた――まさにその時だった。
「中止になったって……どういうことですか?」
鐘崎遼二は、憧れである写真家の氷川白夜の下で見習いとして勤めている新米のカメラマンだ。突然の話に、みるみると瞳を見開きながら師匠の氷川にそう訊いた。
「俺も詳しくは分からん。たった今、連絡を受けたばかりなんだ――」
氷川からの説明によると、ゲイ向け官能雑誌のモデルである一之宮紫月の特集企画が急遽取りやめになってしまったというのだ。これには遼二のみならず、同じ撮影に参加していた先輩カメラマンの中津川も驚きを隠せないといったふうだった。
「紫月君の特集がなくなったって……彼、どっか具合でも悪くしたのかな?」
「さぁ、つい一昨日会った時は特に変わりはねえように見えたがな。あの後、風邪でも引いちまったってか?」
中津川も氷川も首を傾げている。
これまで不動といわれるほどに人気を博していた紫月は、ゲイ雑誌界でも常に巻頭カラーを独占するようなトップモデルだった。故に単独での写真集も出していて、氷川がその撮影も担当してきたのだ。
その氷川に連れられていった撮影現場で紫月と出会って以来、遼二は心を鷲掴みにされたように苦しくなり、今では彼のことで頭がいっぱいの日々を過ごしている。当初は同じ男性に対してこんな奇妙な気持ちになるなど――と、困惑もあったものの、彼と接するにつれ、そんなことはどうでもよくなってしまった。いわゆる世間一般でいうところの一目惚れというやつである。
そんな気持ちを知ってか知らずか、つい最近では師匠の氷川から、紫月を自宅まで送ってやれと申し付けられたりと、遼二にとっては思いも寄らない幸運に恵まれたばかりである。その際に紫月の方から『お前が撮った写真が見てみたい』と言われ、舞い上がったのも束の間、もっと驚くべきことには、『モデルになってやるから俺を撮ってみろよ』とまで言われて、それこそ思いも寄らず親密な間柄へと発展したばかりだったのだ。彼の申し出に、半ば強引に流されるようにして撮影を始めたものの、人気ナンバーワンを誇るその演技力に、みるみると欲情させられ、呑み込まれてしまいそうになった。もう撮影どころではない。目の前の色香に、これまでは密かに抑えていた想いが堰を切ったようにあふれ出し、終ぞ堪えきれずに遼二は紫月に口付けてしまったのだ。
無我夢中で唇を奪い、あわや彼をこの手に抱いてしまう寸前までいったのだが、ちょうどその時に中津川から仕事の電話が入ったことで一線を越えずに留まることができたというわけだ。何とも間の悪い思いをした二人だったが、その後、紫月から携帯の番号を渡されたことで、想いはより深くなってしまった――ということがあったばかりだった。
その紫月の特集企画がなくなってしまったと聞いて、遼二は思わず焦燥感に襲われた。もしかしたら、先日の出来事が何らかの原因となっているのかも知れないと思えたからだ。
紫月の所属事務所にプライベートで写真を撮らせたことを咎められたとか、あるいは一線を越える寸前までいってしまったことがバレて、そのせいで紫月が事務所から謹慎のような処置を食らってしまったのかなど、考えれば考えるほど自己呵責の念はつのっていった。
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