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episode6. 飛べない蝶(2)

 不安なままで午前中いっぱいを過ごし、一之宮紫月が特集から降ろされた原因を聞いたのは、昼飯時のことだった。  事務所の喫茶スペースで氷川と、そして中津川も一緒だ。 「けど、それ本当なのか? あの紫月君に限ってスランプなんて信じらんねえけどなぁ」  コーヒーを口に含みながら中津川が言う。あの後、すぐに氷川が詳しい事情を訊きに紫月の事務所へと向かった。話によれば、ここ最近の彼は覇気がなく演技にも身が入らないことが多いという。それどころか、相手となるモデルとの濃い絡みを嫌がるきらいがあり、これまでは難なくこなしてきた強姦系のシチュエーションなどは演りたがらなくなったというのだ。  まあ、紫月の撮影に関しては主に氷川が撮っていたわけだが、それでも毎回というわけじゃない。写真集や巻頭カラーなどの大きな特集はむろん氷川が担当するのだが、普段の小ページ扱いのものは他のモデルらと同様に出版社と契約のあるカメラマンが撮るのが通常なのだ。直近で氷川が撮ったのは、紫月の三冊目となる例の個人写真集だったから、次の大きな特集までは撮影の依頼もなかったわけだ。当然、氷川や中津川、それに遼二も含めて紫月の演技力に変化が生じていることなど知る由もなかったというところなのだが、それにしてもあの紫月に限って――と、すぐには信じられない思いだった。 「写真集の時はあんなに張り切ってたのになぁ……。何か心境の変化でもあったんだろか」  首を傾げる中津川に、氷川が煙草の紫煙を煙たげにしながら言った。 「まあ……ヤツもこの世界じゃ長い方だからな。良く言えばベテランだが、若い新人もどんどん出てきてる。コアなファンも勿論多いんだろうが、目新しさを求める読者が多いのも酷な現実だ」 「……確かに。演技力という面でいえば紫月君のような完璧なプロには及ばなくても、案外その方が親近感が湧くとかってのは聞いたことあるわな」 「ああ。特に今時は紫月みてえな”超”が付くような男前よりかは、もっと身近に巡り会えそうなタイプってのか? そういうモデルの方が需要あるのかも知れねえな」 「紫月君も若い連中の中でだんだん浮くようになっちまったってことなんだろか?」  氷川と中津川のそんなやり取りに黙って耳を傾けていたが、遼二にはそれだけの理由で紫月がスランプに陥っているようには思えずに、ハラハラと胸中掻き乱されるのを拭えずにいた。  やはり、自分が紫月にしてしまったことが少なからず原因になっているのではあるまいか。彼を目前に欲情を抑えられずに口付けてしまったこと、中津川からの電話がなければ彼を抱いてしまっただろうあの時の行動が紫月に何らかの傷を与えてしまったのだとしたら――そう思うと遼二はいてもたってもいられなかった。

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