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第14話

 ユウは優しい温もりに包まれていた。まるで母親に愛されているような心地良さに、ずっとこのままでいたいと思ったほどだ。しかし不意に目を覚ましてしまったから、仕方なく重い目蓋を開けると、部屋は暗い。何か温かいものがそばにある。なんだ、と思って視線を動かすと、シャンティに抱きしめられていた。  彼は褐色の素肌を全て曝け出していて、その胸に抱き寄せられ、ユウは眠っていたのだ。そのことに驚き思わず身動きをして気付いた。自分も生まれたままの姿であること。それから、昨晩、自分がしてしまった蛮行を思い出す。  俺、なんてことを。  ユウは青ざめてシャンティから離れようとした。それでシャンティも目が覚めたらしい。ユウ? と優しい声で名を呼ばれて、かえって辛くなった。あんなことをした相手にかける声音ではない。 「シャンティ、俺、俺……っ」 「ユウ、謝る前に、私の話を聞いてくれますか?」  泣き出しそうになりながら謝ろうとしたが、それを止められた。話ってなんだ、と困惑していると、シャンティはいつもと変わらないゆっくりとした優しい声で言った。 「貴方達人間は知らないかもしれませんが、エルフはこの世に生まれ落ちる時に、3つの特性を得るのです。それは気まぐれで、役に立つことも、役に立たないことも、害を成す事もあります」  急に何の話だ。ユウは眉を寄せたが、シャンティがユウを抱きしめたまま愛しげに撫でてくるものだから、どうにも話を聞くしかない。 「私の特性の一つが、簡単に言ってしまえば、誘惑なのです」 「誘惑って……」 「その名の通り、相手の劣情を煽ってしまうのですよ。ただ性行為を誘発することも有れば、昨夜の貴方のように……感情が爆発するのを助けてしまうことも……」  もう長い間、人と会っていなかったから、それを抑制する護りをつけていなかったのです。だから貴方の感情を揺さぶってしまいました。貴方は何も悪くないんですよ。  シャンティはそう、言って聞かせるように優しく囁いて、ユウを撫でている。  シャンティの言うことが本当なら、アレは確かにユウの感情の片鱗だったということだ。これまでの人生は決して楽ではなかった。怖い思いもした。辛かった。そしてそれを、誰かのせいにしたかった。それが自分の一部であると言われると、ユウはどうにも気分が悪い。まして、それを爆発させたことが、仕方ないことだと言われるのも。 「……シャンティ、でも、……でもやっぱり、俺は嫌だったよ。もしそれが、シャンティの特性だったとしても、俺、あんな事したくなかった……」  ごめん、本当にごめんなさい。  ユウが目を伏せて謝罪すると、シャンティは困ったように微笑んで、「貴方は優しい子ですね」と、また愛しげにユウを撫でる。 「私も貴方を傷付けるのは本意ではありません。今は抑制の首輪を付けていますから、もう大丈夫ですよ」  そう言われて見れば、いつのまにかシャンティの首には真鍮でできたシンプルな首輪が付けられている。文字のような文様が書かれているから、またシャンティの魔法がかけられているのだろう。それにしても、劣情を煽るのを止める手段として、普通首輪を選ぶだろうか? 逆にそういうのに興奮する奴もいそうだけど、とユウは思ったが、黙っていた。 「ユウ、貴方には悪いことをしました」 「違うよ、悪いことしたのは、俺のほうで……」 「いいえ。貴方に罪悪感を与えてしまったのは、私の責任です。貴方を守れなかったばかりか、罪まで……本当にごめんなさい」  だから、謝るのはこっちだ。そう言うのに、シャンティは少しも譲らない。ユウは困ってしまった。レイプされて謝る奴なんて聞いたこともない。 「私は大丈夫です。慣れていますし、人間と違って感覚が鈍いのですよ」  なんの救いにもならないことまで言われて、ユウはどう答えていいかわからず、シャンティの体を抱き返した。すると我が子を愛でるように額にキスされ、髪を撫でられるものだから、ユウは本当にこのエルフとどう向き合ったらいいのか、わからなくなった。 「ユウ、これを」  シャンティが革袋を渡して来たのは、朝、シャンティの家を出る時だった。  いくら謝っても話は進まないし、最終的にユウは諦めた。ただ、彼にできる贖罪は、この随分とユウを大事にするエルフに、無事な姿を見せ続けることのような気がしてきたのだ。  シャンティは森を抜ける方角を指差し、ペンダントを信じれば最寄りの街に出られると言う。そして、一つの革袋をくれた。中を見ると、手紙と思わしき紙切れと、小瓶がいくつか入っている。中には色とりどりの液体が注がれているようだ。 「これは?」 「村に着いたら、それを持って街の中心の市場に行ってください。赤い馬の置き物が有ります。そのそばの通りに入って中程に、酒場が有るのです。そこのマスターに、森のエルフからもらったと言って、その薬を渡してください」 「渡したら、どうなるの?」 「きっと彼が貴方を守ってくれます」  貴方が私を必要としないなら、彼をお頼りなさい。  シャンティの言葉が何故だか胸に刺さる気がした。確かに、ユウはもはや親を必要とする子供ではない。けれど、だからといってシャンティが必要無いとまでは言わない。こんな風に愛情を傾けてくれる彼に何か応えてやりたいと思わなくもないが、どうしていいやら、見当もつかない。 「気を付けて、ユウ。貴方が末長く健やかで過ごせますよう」  祈りの言葉を捧げられて。名残惜しそうなのに、シャンティは一度だって引き止めようとはしなかった。森の中へ進み、姿が見えなくなるまで見送られて。ユウは複雑な思いのまま、村へと旅立った。  それからユウは無事に街に着き、酒場のマスターと出会った。マスターはユウの土産である薬を大層喜んで、ユウに住む場所を提供してくれた。街の案内もしてくれて、そして最後にこう言った。  お前さん、あの森を抜けるルートが分かったのなら、森のエルフと交易をしてみないか? あのエルフは滅多に人里に出てこないんだが、やっこさんの作る薬は、ここらじゃ喜ばれるし、高く売れるんだ。  それが、すべての始まりだった。  そして、今。ユウは、薬を調合しているシャンティの後ろ姿を眺めている。真鍮の首輪は、ユウが訪れる時必ず身につけているから、あの時のようなことはあれきり起こらなかった。ただ、やはり長い髪を三つ編みにまとめて前にやって、首筋にはうなじが見え、金色の首輪ばかりが目立つ姿は、あまりよくないとユウは思った。  あれからユウはシャンティと交易をすることで生計を立てることになった。シャンティはユウの役に立てること、またユウに会えることを喜んで、二つ返事で了承してくれた。シャンティの小屋はまるで止まっていた時間が動き始めたようだった。小間使いのようなドライアドに驚かされたり、やたらに葉っぱのねじ込まれた薬草茶を健康に良いと言って飲まされたり、色々なことがあった。  暴行したというのに、シャンティはユウを深く愛してくれた。ユウもいつの頃からかシャンティに対して愛着を持ってしまって、最初の頃は何もなかったのだが、どちらともなく求め合うようになり、結局こうして会う度に肉体関係を築く仲になってしまった。  ユウは、今やシャンティのことを愛している。しかし、シャンティがユウに傾けるそれと、ユウがシャンティに注ぐそれは、違うように感じる。  ユウは思う。  シャンティがユウを愛するのは、時々彼が名も呼ぶ「ヴィント」と子孫だからなのだと。気にしても仕方がないのに、ユウはこのところ、それがどうにも寂しく感じるのだった。

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