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第25話
物音で目が覚めると、シャンティがリビングの作業スペースで薬を調合していた。目をやると、ユウの手荷物である鞄が開いていて、マスターからの注文書を取り出したようだ。人の荷物を勝手に開けるのはいけないことだ、とシャンティに言うべきか、でもおかげで薬がもらえるし、とユウは思い悩みながら、もぞもぞと布を被って二度寝の姿勢に入る。慣れているとはいえ、床は硬くて、よく眠れていなかったのだ。
しばらく眠っていただろうか。ユウは小さな話し声に目を覚ました。しばらく横になったままぼうっとしていたが、シャンティが独り言を溢すわけもなく、つまり話し相手はエルガーではないかと考えた。それではっと覚醒して飛び起きる。節々が痛んだが、構わずシャンティの寝室に向かうと、寝台にはエルガーが、そしてそばにシャンティが腰掛けていた。
「おや、ユウ。おはよう」
シャンティはいつものように、とろんと微笑んでくれる。ユウはエルガーを見たが、彼は青ざめた様子も無く、震えてもいなかったから少し安心した。
「おはよう。エルガー、大丈夫?」
「あ……はい、平気です。あの……ユウさんも、昨日は、ごめんなさい……」
エルガーはそう頭を下げた。聞けば、シャンティにはもう直接謝罪をしたという。人間同士であれば刺した刺されたのことが簡単に済みはしないだろうが、シャンティは本当に気にしていない様子で、エルガーのことを撫でていた。
「負の感情をぶつけられるのは慣れていますから。あれぐらいなら可愛いものですよ」
シャンティはそう笑って、エルガーに告げる。
「ですが、憶測だけで何かを悪者にして、挙句に刺すのは褒められたことではありません。これからは気を付けて、よい子になるのですよ」
「は、はい……、ごめんなさい……」
エルガーは本当に反省しているようだったから、ユウもそれ以上責められなかった。母親との人生がかかっているのだから、少し混乱しても仕方ないのかもしれない。とはいえ、刺すのはやり過ぎだが。
「人間は他の生物をあまり慎重に扱いませんから」
シャンティはそう言ったが、それで納得していいことなのかどうか。ユウにはわからなかった。
シャンティはユウにするのと同じようにエルガーを撫でながら、優しい声で囁く。
「エルガー、帰ったらお母様に薬を渡して、こう伝えるのです。何が起ころうと自分の人生には関係が無いと、強く信じること。人のかかる病のいくつかは精霊の悪戯からくるもので、体力の落ちた者に手を出す輩もいます。そうした者達が特に嫌うのが、信念を持つ者です。何者の影響も受けない、己の人生は己のものだという強い気持ちのある者には、精霊達もお手上げなのですよ」
だから、お母様にはそう思って療養をするようにお伝えください。薬が必要ならまた依頼してくだされば作りますから。
シャンティの言葉は穏やかで、本当にエルガーの母親を気遣っているのが伝わってくる。ユウは複雑な気持ちで、それを見ていた。
シャンティの薬を受け取って、ユウはエルガーと一緒に街に戻ることにした。エルガーが道中申し訳なさそうな顔をしていたので、ユウは彼と色んな話をした。
村で飼っている羊のこと、チーズが美味しい事、とびきり強い果実酒があって、それを飲めるのが大人になった証ということ、村にはあまりが刺激がなくて、毎日が同じことの繰り返しだということ。
ユウはそれでなんとなく、エルガーが呆気なく噂話を信じてしまった理由を理解した。彼は、世間を知らないのだ。村で生まれ育った素朴で素直な青年には、嘘も噂も真実も同じに見えただけの話だ。
ユウはエルガーと年齢も近かったし、彼のことが嫌いではない。ティノの街まで戻ってから、ユウはエルガーに「また遊びに来いよ」と言った。
「街には色んな情報が有るし、楽しいことも有る。たまには息抜きに来いよ、おふくろさんにお土産を持って行くのもいいと思うし、……そうだ、果実酒ならシャンティも喜ぶから、薬も弾んでくれると思うしさ」
ユウの言葉にエルガーはしばらく困惑した様子だったが、やがて、ユウさんさえ良ければ、と頷いた。だからユウは自分の家を伝え、それで別れた。これでアイツの人生が少しは楽しくなればな、とユウは思いながら、酒場へと向かう。
マスターに薬を渡して、それから、黒い影の噂とシャンティは無関係だという噂を流して欲しい、と頼んだ。噂には噂で対抗するのだ。しかし、それをはっきりと淫魔の仕業だと言うと被害者達の尊厳に関わるし、必死に否定されるかもしれない。だから、エルフとは違う生き物も存在するらしい、という噂に留めるしかなかった。
マスターも事情を聞いて快く了承してくれたが、最後に彼は苦笑して言った。
「まあ、一番はシャンティが、街で暮らしたらいいんだけどな。それなら色んな誤解も無くなるだろうに」
それはユウも思わないでもない。けれど、ユウにはそれをシャンティに提案することはできなかった。だから、ほんとにな、と苦笑するしかなかった。
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